lecture:見立て◆葛の葉のうらみ顔なる細雨哉 蕪村
2013年 10月 03日
初五中七の「葛の葉のうらみ顔」は古歌に常套的な(ありふれた)表現。「秋風の吹きうらがへす葛の葉のうらみてもなほうらめしきかな」(平貞文・古今・恋)、「秋風はすごく吹けども葛の葉の恨みがほには見えじとぞ思ふ」(和泉式部・新古今・雑歌)の一部に一致。
▶▶▶『新古今』によれば、和泉式部の歌が生まれる事情は次のようである。夫道貞は式部を捨てて他の女性に走った。まもなく、その式部に敦道親王が言い寄る。その噂を聞いた赤染衛門が「うつろはでしばし信太の杜を見よ返りもぞする葛の裏風」という歌を詠んで式部に忠告。その返しが「秋風はすごく吹けども・・・」という歌である。
▶▶▶和泉式部と赤染衛門との応酬をかみ砕くと次のようである。赤染衛門〈敦道親王に心変わりせず、しばらく様子を見たらどうかしらん。また道貞があなたのもとに戻ってくるかもしれないじゃないの。その時、あなたの心が親王に移っていたら困るんじゃないの〉。和泉式部〈ありがとう。夫にはつくづく飽きられてしまったものだと思うけれど、それを私が恨んでいるとは見られまいと思いますよ〉。道貞と和泉式部とはすでに冷えきっていたことになる。これは平安朝によくあるタワレのひとつで、それなりに面白い人生模様だが、蕪村句がこれを踏む(よりどころにする、のっとる)というのは誤読。