人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ワークショップ:連句入門1(口上)

今月(2月)の芭蕉会議は本来白山句会枠だが、「ワークショップ:連句入門」と題して連句に遊ぶことになった(場所は「芭蕉会議」→「白山ネット連句会」と入るページ)▲連句は長句(五・七・五)と短句(七・七)を交互に展開する詩形式。なじみの薄い人に配慮し、補足用にこのブログ「海紅山房日誌」を併用する。


# by bashomeeting | 2023-02-08 17:19 | Comments(0)

2023年賀

あけましておめでとうございます

   2023年癸卯 歳旦

鴨長明を思ふ

手のやつこ足の乗りもの手毬唄   海紅

# by bashomeeting | 2023-01-01 03:21 | Comments(0)

終戦記念日◆霊あらば親か妻子のもとに帰る靖国などにゐる筈はなし 市村 宏(『東遊』)

     召 集
            金子光晴
  
   バネのこわれたベッドのうえに
   仮死の子が横たわる。
   むりにも子供を病人にしたて、
   敵のてだてのうらをかこうと。

   非国民の父親は、窓をしめきり、
   松葉で子をいぶしたり、
   裸にして、庭につき出し、
   十一月の長雨にたたかせたり、

   子は、衰えて眠る。夜もふけて、
   父は、子のそばで紅茶をいれる。
   人がみな、鬼狼になった時代を、
   遮断する、破れカーテンのうち、

   タムの穿く
   刺繍の靴。
   蒟醤の箱、プノンペンの面。
   それら、みな。

   子の父や、母が、子のために
   世界のすみずみを旅して
   あつめかえったおもちゃの影まぼろし、
   幾歳、心の休み所となったこのかくれ家。

   この部屋も、あすは木っ端みじんとなろう。
   だが、その刹那まで、
   一九四〇年日本の逆潮を尻目の、
   ここの空間だけが、正しいのだ!

   窓のすきまを忍び込む、
   風がことりという。
   戸外の夜陰をひっさらって
   「時」の韋駄天走りをかいまみて、

   子と父を引き裂くその「時」が
   刻々に近づく
   だが、その不安を
   しまいまで、口にすまい。

   子はねむる。わるい夢をみてか
   ときどき、うなされるが、
   父は、机にむかって、
   アリストファネスをよむ。


▶▶金子光晴(昭和50没、享年80)。作品は『落ちこぼれた詩をひろいあつめたもの』という詩群による。
# by bashomeeting | 2022-08-15 17:11 | Comments(0)

朝日カルチャー新宿始末3◆講師の立ち位置

Ⅰ、人は自分のレベル以上のことは理解できない。
Ⅱ、我々のようなサラリーマン学者に芭蕉を理解出来るはずがない。
Ⅲ、芭蕉の作品も立派だが、芭蕉が引用する中国や日本の古典もすばらしい。

▶▶わたしは上記の3点を、講師としての自分の立ち位置とし、聴講者の方々の前に立っています。ⅠⅡは恩師の教えです。Ⅲは朝日カルチャー講師を引き受けて以降の実感です。すなわち、学校の講義はカリキュラムやシラバスという制約があって、肝腎な点をハショリますが、カルチャー講座はエンドレスなので、杜甫も李白も、源氏物語も枕草子も、必要箇所はすべて紹介できるということです。次回はⅠⅡⅢの補足説明をいたしましょうか。

# by bashomeeting | 2022-03-24 19:06 | Comments(2)

読む楽しみ◆ラジオからカーペンターズぼたん雪 由紀子

 俳句を伴侶として暮らす方法はいくつもある。
 市中の教養講座を受講したり、一定の主義主張をもつ俳句雑誌で選者の選を受けて入選を競ったり、そうした雑誌の変形である各種の俳誌に加わって自分の作品を掲載する枠を得たり、また新聞俳壇への投稿や懸賞俳句の応募に熱を上げたり、あまりほめられたことではないが、俳壇で名を成そうとしたりと、まことに多彩である。
 しかし、そのいずれにも暮らしのカタチがなじまず、俳句に遊ぶことを断念している人もいる。それは気の毒だから、そうした事情の人たちのリズムに寄り添い、気のおけない俳句会を作ってお手伝いをしたりする。
 最近、そうした俳句会のひとつで、兼題「ラジオ」に挑戦して、由紀子さんの「ラジオからカーペンターズぼたん雪」という句に遭遇。ボクは〈この兄妹のデュオは澄みきっていて、春の雪(ぼたん雪)という景にお似合いですね〉と感想を述べた。
 するとFさんから〈読後すぐに脳裏を「Yesterday Once More」が流れた。ノスタルジックな歌詞とメロディにぼたん雪はおしゃれな組み合わせ〉という感想が寄せられた。それで久しぶりに、「When I was young I’d listen to the radio」と始まる「Yesterday Once More」を聴いた。こみ上げるものがあった。
 ところで、「Yesterday Once More」をボクに和訳させると、「あの日に帰りたい」となる。「あの日に帰りたい」とくれば、「泣きながら、ちぎった写真を手のひらにつなげてみる」と始まる荒井由実の名曲で、ボクの母校の小学校が閉校する際の記念誌に求められて、同じ「あの日に帰りたい」という題で思い出を寄せた記憶がよみがえった(海紅山房日誌:2011年 02月 26日)。
 「Yesterday Once More」の清澄と、荒井由実の「あの日に帰りたい」の演歌に等しい重たさ。小さな俳句会で出逢った一句で、こんなゆたかな数日を過ごすことができた。ボクが〈俳句は読者のものですよ〉いうのはこういうことである。
# by bashomeeting | 2022-01-31 15:27 | Comments(0)

芭蕉会議の谷地海紅(本名は快一)のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


by bashomeeting