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海紅山房日誌

kaicoh.exblog.jp

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。

 今年の終戦記念日は台風10号に見舞われている。

 台風で思い出す一つに納豆売り体験がある。昭和34年に伊勢湾台風があって、5,000人を超える人が亡くなり、負傷者も4,000人近くに及んだ。ボクは北海道の空知川のほとりの小学校で生徒会の会長をしていて、顧問のK先生から「生徒会の役員全員で納豆売りをして、その収益を被災地に寄付してはどうか」という提案を受けた。通学前の早朝に、豆腐屋さんで納豆を仕入れ、「納豆はいりませんか」と家々を廻った。どのくらい続けたか、どれほどの収益があったかは忘れたが、懐かしい記憶である。

▶▶タイトルの歌の初出は「おほらかに地球は蒼穹(そら)をめぐれるを人ら境して何か争ふ(『憂の花』)」である。


# by bashomeeting | 2019-08-15 17:07 | Comments(0)
 たしなみ句会の第四句集を編むという話をうかがい喜んでいます。それに合わせて、少し前に鹿鳴さんが問題提起していた「本意」について私見を述べてみます。
 「本意」は辞書をひくと「本来あるべきさま」と解説されています。和歌連歌俳諧の歴史には掛詞や縁語などのレトリックがまつわりついて、簡単には説明できません。しかし、掛詞や縁語に頼らなくなる十七世紀後半、つまり芭蕉晩年から現代の俳諧(俳句)においては、「本意」とは季題(季語)が持つイメージと考えてよい。
 「主観」、つまり「見えているもの」や「感じていること」は人によって異なる場合もあるから、「本意」をつかむには徹底した観察が不可欠です。そして、「桜って、そういうものだよネ」といえるとき、それが「桜の本意」ということでしょう。ただし、それをそのまま句にしても、「説明に過ぎない」と否定されてしまいます。みんなが了解していることは自明の事柄だから省略する、表現しないというのです。いうのは簡単ですが、行うのはむずかしい。でも、むずかしいから愉しいともいえます。
 日々、御仕合わせに。

▶▶これは『たしなみ』(たしなみ俳句会4周年記念句集、平31年3月31日鈴木勝也跋)に求められた「序にかえて」の全文です。ただし、結晶度を高めるために多少の加筆修正を施しています。断捨離の日々が続いていますので、散逸を恐れて、しばらくここに残します。
# by bashomeeting | 2019-04-04 16:33 | Comments(0)
 いろいろあって文学を仕事にしてしまいました。いろいろあって古典文学を専攻してしまいました。企業を退職して、大学の夜間部に入って、ありがたかった講義は天文学と哲学でした。二つとも、人間が死んでゆくのは致し方がないのだと教えてくれました。
 守備範囲の古典では、西行法師や芭蕉庵桃青に関心を持ちました。二人の分野は和歌と俳諧と異なりますが、俳諧もつまるところ和歌の一分野です。芭蕉が生まれる前に和歌の歴史は九〇〇年以上あり、俳諧は芭蕉が生まれて以後に限っても四〇〇年に届こうという歴史を刻んでいます。だから、和歌とは何か、俳諧とは何かという根源的な問いの答えは色々あるでしょうが、日本人が一貫して向き合ってきたものは「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声」(『古今集』仮名序)であります。
 すなわち、古代ギリシャのヘラクレイトスが説いた万物流転、あるいは有為転変・生々流転・飛花落葉といっても同じでしょう。西行や芭蕉の生涯はそこに無常を感じとることで、限りある時間をよりよく生きることでした。俳諧の季題はその無常を確かめる何よりの教材なのです。無常を確かめることが日々をよく生きる最善の道だと思うのです。わたしは俳句をこんなふうに大切に思っています。

▶▶これは『たしなみ』(たしなみ俳句会3周年記念句集、平30年3月31日杉本勝人跋)に求められた「たしなみ句集Ⅲに寄せて」の全文です。西行の「心の誠」、芭蕉の「軽み」、虚子の「花鳥諷詠」に貫道するもの(哲学)の一環とお考えいただければ幸いです。断捨離の日々が続いていますので、散逸を恐れて、しばらくここに残します。


# by bashomeeting | 2019-04-04 15:51 | Comments(0)
 たしなみ俳句会の二周年と、その選集の完成を御祝い申し上げます。
 すでにお話しさせていただいたことですが、私の教師生活は常磐線沿線の高校教師で始まりました。この地域には私の恩師村松紅花と信頼関係にある俳人がたくさん住んでいて、「紅花先生の指示である」といって、赴任後の私をあちこちの句会に誘ってくださいました。私の俳句は茨城県の俳人に育ててもらったといってよいのです。
 そこで教わったことのひとつに「泥吐き」という言葉があります。鮒・鯉・鯰・鰌、そして貝類などを料理する際の下ごしらえの一種で、魚介類が体内にため込んだ泥や汚物を水中に排出させることを意味します。句作をこの泥吐きに喩えて、よい句はトコトン泥を吐いたあとで、ふうっと口をついて出てくるものだというのです。
 ともすれば、泣いたり笑ったりする日常の感情の起伏を表現するものと、俳句を考えがちですが、そんなものは松尾芭蕉が否定した私意であって、そういうものを吐き出してしまって、ああ、もう言いたいことなど、残っていないという段階に入って、はじめて私情を離れた心底を言葉にできる。それが本物の俳句だ。季題を通して見る天然自然は、魚介類の泥吐きにおける水に等しいのだ。季題を学ばねばならない、あるがままの世界を凝視せねばなるまい。私は「泥吐き」をそんなふうに理解したのでした。そして、今もその気持ちに変わりはありません。
 繰り返しておきます。事実を〈美しく〉切り取り、言い取って、今生きていることを喜びましょう。たしなみ句会発足二周年まことにおめでとうございます。日々の御仕合わせをお祈りしています。
                           平成二十九年年二月十四日の月下にしるす

▶▶これは『たしなみ俳句会』(2周年記念句集、平29年2月刊)に求められた「たしなみ句集Ⅱに寄せて」(平29.2.14稿)の全文です。断捨離の日々の散逸を恐れて、しばらくここに残します。


# by bashomeeting | 2019-04-04 12:30 | Comments(0)
 昨年、NHKのドキュメンタリー「ファミリーヒストリー」の「中山エミリ、 ルーツは地中海・マルタ島 日本への帰化」という番組を見た。英国人ロジャー・ジュリアス・イングロット氏の生涯を追跡するもので、俳句仲間のM氏一族が女優中山エミリの親戚にあたり、御自身も番組でお話しすると聞いたからだ。
 それでしみじみ思ったことは、誰でも自分のルーツを辿ると、そこに大きな歴史があらわれるということであった。俳壇のような世界からみれば、たしなみ句会はちっぽけきわまりないが、そこで句作する人の人生は芭蕉・蕪村・一茶や子規のそれに少しもひけをとらない。ボクは本気でそう考えている。
 たしなみ句会は、瓢箪から駒のように生まれた。生涯学習センターの永山邦子さんが初めに講師の御願いをしたのは聖心女子大学に勤める友人F氏であった。ただ永山さんの意図は講座の終わりには俳句を嗜む気持ちがうまれて、それが日立の人々の日常の支えになることにあったため、友人がボクを紹介してあの講座が成立した。この人生の選択が正しいかどうかはわからないが、ボクの四十年は研究と句作を両立させるというものであったからだ。出かけてみると、そこに古い俳句仲間の勝人さんや君江さんがいた。なんだか、偶然とは思えないものを感じたのである。
 一年間にわたり申し上げてきたことは。俳句は事実を〈美しく〉切り取り、言い取って、今生きていることを喜ぶという、とても身体によい詩歌ということである。その思いが届いて、一周年という時間を刻んだことは、いつか誰かにとって、それはボクらの次世代かもしれないし、もっと先かもしれないが、捨てがたい歴史になることをボクは信じて疑わない。


▶▶これは『たしなみ俳句会』(1周年記念句集、平28年1月24日杉本勝人跋)に求められた「たしなみ句集に寄せて」(平29.1.22稿)の全文です。断捨離の日々に入ったゆえ、散逸を恐れて、しばらくここに残します。


# by bashomeeting | 2019-04-04 12:05 | Comments(0)
 3月31日を以て退職する。教職から解放される。
 高等学校を卒業する前後から、入学式や卒業式、歓迎会や送別会というたぐいが苦手になった。ひとつの号令で、何百人、何千人が立ったり座ったり、唄ったりする時空を異様に思うようになった。ましてや、セレモニーの中心に据えられるのは恥ずかしくて、やりきれなくなった。
 しかし、組織のなかで生きてきた以上、こうした質を理由に礼儀を欠いてはいけない。そう諭す人もいて、挨拶を7回こなし、花束を3回もらった。別に大学院にゆかりの先輩後輩が集って文学散歩を兼ねた送別会があり、さらに30年以上続けた古典講読の会も閉じた。また、芭蕉会議が雪残る銀山温泉で1泊吟行をもてなしてくれた。
 旧臘、こうした事態を避けられないとみてN氏にすがり、『九十九句』という小さな句集を編んで、300部刷った。ささやかなお礼のつもりである。松尾芭蕉を講じている朝日カルチャーセンター(新宿)にも運んで、〈300人も友だちはいないので〉といって、聴講してくれている人々にも差し上げた。
 受講者のなかに、俳諧(俳句・連句)を暮らしの杖にしているSさんがいて、ボクの句集の中に〈連句で付句にしたい句がたくさんあって、記念に遊んでみました〉といって、次のような三つ物二種を贈ってくれた。
 前置きすれば、「春雷に」の脇句「足湯してゐる女九人」は拙句「足湯して女九人春浅し」を短句に、第三の「藤の香を風立ちてより追いかけて」は拙句「風立ちてより藤の香は風を追ひ」を「テ」留めに仕立て直したものである。また、「ものの芽の」の第三「古扇にもの言はぬこと決めてゐて」は拙句「もの言はぬことに決めたる古扇」を「テ」留めに仕立て直したものである。こんな遊びは誰に気兼ねもなくて楽しそうである。
 ちなみに、『九十九句』はまだたくさん残っている。

  お祝い 三つ物
   春雷に
春雷に明るくなりしベンチかな   海紅
足湯してゐる女九人        同
藤の香を風立ちてより追いかけて  同

   ものの芽の
ものの芽の風にとかれて明るしや  海紅
「あずさ二号」へ急ぐ花時     昭子
古扇にもの言はぬこと決めてゐて  海紅


# by bashomeeting | 2019-03-29 18:25 | Comments(0)
 必ずしも適切とは思えないが、ほかに思いつくものがないから定命とか天寿ということばを用いる。3月16日、芭蕉会議発足以前からのお付き合いであるKさんが天寿を終えられた。俳号は山茶花、ボクの命名である。
 平成24年12月15日(土)と16日(日)の1泊2日で恋瀬川・霞ヶ浦で1泊の吟行会をおこなった。現地集合というプランで、宿に定めた「いづみ荘」(石岡市高浜)に集まった。女将さんが床の間に掛けてくれていた高野素十の色紙「湖の月の明るき村に住む」を見て、その句碑を見に高淵寺観音堂に出掛けた。この日は朝から冬の雨が降ったりやんだりで、句碑も、その句碑を包む山茶花も濡れて、いきいきとして見えた。
   山茶花にたつぷりの雨素十句碑
 Kさんのこの句は、その際の作で、宿に戻って行われた句会で最高点を得た。ボクは山茶花を名乗ることを勧めた。
 彼女は会社勤めの若いころに、少し俳句をたしなんだことがあると話していた。OLをしながら俳句会に参加していたとは、まことによい世の中であった。その後、やめてしまう時代があるにしても、実は二十代、三十代に好きになって、熱中したことがあるのは財産である。その財産は「素直な眼」のように思う。彼女に対するボクの句評はつねに〈素直でよろし〉という一言であった。素直は境地であり、人間の出来である。人間が出来ていれば、相応の句が生まれる。これは芭蕉の教えでもある。〈素直は上手に優る〉といって誤るまい。
 だれかを誘って、「いづみ荘」を訪ねたくなった。 合掌

春といふ魔物に押され病くる
旧正や半襟の白掛けなほし
春雷にすがる人なき暮らしかな
江ノ電をフリー切符で春の海
流氷のひしめきあふも寂しげな
存分に学び遊びて卒業す
少しだけ菫くくりて髪飾り
ローカル線蓬のかをりコトコトと
期日前投票すませ夏句会
子等帰りゆきて一人や夏の果て
たたかれし記憶なき父セルコート
合宿の白靴山のやうに脱ぎ
ハート絵馬手児奈霊堂青葉ゆれ
目にかかる髪をはらひて野分行く
また一つ露ころがりて葉に遊ぶ
白樺のふところふかし秋の湖
祝ふこと久しき硯洗ひけり
落日の蔦美しき夜学の灯
焼米に少し籾の香あるやうな
ポケットに何やら後の更衣
子規の部屋に師走の日ざしやはらかく
年越しの一泊楽し恋瀬川
節分の決意あらたに万歩計
水揚げや河豚は大きな歯を切られ
なんとなく猫に目をやる漱石忌
箸先でころころ遊ぶなめこかな
# by bashomeeting | 2019-03-27 11:23 | Comments(0)
 詩歌も絵画も、そして音楽も享受者(Person enjoying)のものです。よって、俳句に即していえば、読者が他人の作品に読み取るものは、知識や経験によってさまざまであるといってよい。

 しかし、そのわがまま(selfishness)を作者が仕込んではいけない。助長させてはいけない。和歌の歴史の掛詞や縁語などという言語遊戯を繰り返してはいけない。つまり、ことばを信じて、平明に表現しなければいけない。ボクらはわずか十七拍の舟で旅をしているのだから。


▶▶『たしなみ俳句会報48』(2019.1.12)による。ただし、結晶度を高めるために修正を加えている。
# by bashomeeting | 2019-02-26 20:16 | Comments(0)
この人の一句◆中村ひろ子句集『ドロップ缶』ふらんす堂

神仏と遊ぶ鳥獣戯画の夏
心根の透けてきさうな夏衣
くづ金魚三つの命掬ひけり
再会の約束はせず麦酒つぐ
羽子板の少女横向く歳の市
半壊と便りにありて薄暑かな
かしは手を打ちて蜥蜴に一礼す
山神に分けて貰ひし歯朶飾る
弁天の水馬をのけ銭洗ふ
秋の来る方を見てゐる風見鶏

▶▶中村ひろ子句集『ドロップ缶』〈未来図叢書第207篇〉(2018.9.19、ふらんす堂)をいただいた。ひろ子さんとは東洋学研究所のシンポジウム(2019.1.12)で再会。ボクの「日本の詩歌と釈教―芭蕉連句を軸にして―」という話を聞いた感想を手紙に添えてくれた。そこに、「芭蕉の仏教観とは本当に目から鱗…」「まだ鎌倉新仏教が誕生していない時代に、和歌を手にしたまま成仏したいとあがいている鴨長明がかわいそうになってきた」とある。熊本大学を出た才媛で、大学の学生句会で俳句に出逢い、「未来図」の人々との吟行で研鑽。仕事・結婚、そして子育てという生活に、一時、俳句を諦めたようだが、近年再開して、それ以降の句を収める。鍵和田秞子の序、作者自身のあとがき。俳人協会会員。
# by bashomeeting | 2019-01-24 17:59 | Comments(0)
はじめての連句2018◆「魚鳥の」脇起こし半歌仙

魚鳥の心は知らず年忘れ      芭蕉
帽子につもるほどの初雪      富博
ストーブも焚火も季語と驚いて   知里
今も昔も風の子といふ       菜月
石畳来る足音に月白く       真聖
換気扇から届く蕎麦の香       功
虫の夢虫の声とはかぼそくて    真聖
父の上着に口紅の跡         葵
恋仲を見てみぬふりの笠地蔵   舞里奈
大きなビルに変はる四つ辻      功
本当は漫画を描いて稼ぎたい   香葉子
呼んでも返事をしない不機嫌    菜月
人多き待合室もホームにも     千映
賛美歌響く夏の夜の月      真太郎
先生に隠れてアイス食べてをり   香葉子
後悔多き日記読むらし      舞里奈
お下がりの着物にみえず花吹雪   海紅
壺焼きを買ふ青きマニキュア     葵  

▶▶平成9年度以降、30年度まで学部3年4年ゼミは連歌俳諧研究で、友人と編んだ『連句の世界』(新典社)を教材にした。毎年30名程度のゼミ生が所属したというと、他大学の研究者は、その受講生の多さに驚いた。連歌俳諧の分野に、毎年そんな人数が集まるものかと疑いの眼を向けるのだが、事実である。本年もその最後に、作る側にまわって芭蕉の「年忘れ」の句を立句に、「はじめての連句」を創作。こうした文芸に一座した昔の人々の知性に驚いてもらった。句案はなかなか難しいらしく、ここに登場するゼミ生は10名(ワタナベ・トミヒロ/フジヌマ・チサト/ゴトウ・ナツキ/トウドウ・マサト/クボタ・タクミ/スガワラ・アオイ/ヒラコ・マリナ/タカハシ・カヨコ/イケダ・チアキ/カンバラ・シンタロウ)だが、切り短冊を受け取って、付句に智恵をしぼった総数は30名である。
# by bashomeeting | 2019-01-19 12:21 | Comments(0)
あけましておめでとうございます2019

 平成三十一年年己亥 歳旦

定年といふ字を太く初硯  海 紅

▶▶詩歌の表現の本質は省略にある。それが生む間にある。間は余韻(心情)を盛りつける皿である。皿はどんな読者の心をものせ得る普通の皿(一般性・普遍性)であってほしい。年頭にあたって思ったことです。日々を御大切にお過ごしください。
# by bashomeeting | 2019-01-01 09:46 | Comments(0)
  季題とそれ以外の部分を、混じり合わない「水と油」と考えてみてください。「水と油」をよく振れば、少しの間は混じり合ったように見えます。俳句はそのような状態です。実際に見たからといって、その季題を添えるだけでは俳句にならない。よく振るという努力をしてみてください。(「わくわく題詠鳩の会会報88」より転載)
# by bashomeeting | 2018-12-17 11:02 | Comments(0)
この人の一首◆短歌誌『迯水』通巻500号記念特集、迯水短歌会(渓声出版内)

  七十路に入りゆく春のさみしさのふとつのり来て筆を止めたり  市村 宏

▶▶市村宏先生創刊の、迯水(にげみず)短歌会誌『迯水』通巻500号記念特集(2018.12.1)をいただいた。巻首に木沢文夫・杉本照世編「迯水通巻500号の歩み」が13頁のアルバムになって載る。それによれば、昭和48年(1973)12月10日創刊(謄写摺り、58頁)、昭和49年10月秋季号(活版印刷に移行)、昭和51年(1976)6月惜春号(写植オフセット印刷に移行)。平成元年(1989)市村宏先生逝去。以後、歌誌はその教え子たちによって継承。この46年間を蔭で支える赤木賢而氏(渓声出版)の超人的なエネルギーに敬意をおぼえる。私事ながら、昭和48年といえば学費が払えなくなって軽井沢に遊び、復学した時期である。
# by bashomeeting | 2018-12-17 10:23 | Comments(0)
この人の一句◆中崎良子句集『青水無月』たかんな発行所

薄氷の何か言ひたき泡ひとつ
夕焼に窓開け放つ保育園
群衆のずんと揺れたる大花火
一人居の丸ごと囓る林檎かな
たましひのゆつくりほどけ日向ぼこ

▶▶中崎良子句集『青水無月』〈たかんな叢書44〉(2018.11.15、たかんな発行所)をいただいた。冒頭に「一句鑑賞」として藤木倶子氏の句評を掲げ、全5章の編年体編集。吉田千嘉子跋と作者のあとがきを添える。総句数333句。中崎氏は俳人協会会員。八戸市根城に発行所を持つ俳誌『たかんな』は藤木倶子氏の後を継いで、現在吉田千嘉子主宰。

# by bashomeeting | 2018-12-16 14:58 | Comments(0)
 卒業生のKさんから、山本美香(写真と文)『これから戦場に向かいます』(ポプラ社、平28)が送られて来た。ボクの定年退職が近いことを知って、その慰労を用件とする手紙だが、それに添えられた一書である。Kさんの弟君の企画編集に成る。
 TVに加えてネットが世界を席巻し、ニンゲンをさがすのが難しい時代だから、忘れてしまっている人のためにいえば、山本美香氏はアフガニスタンを起点に、イラクその他の紛争地を取材しつづけ、平成24年8月20日、内戦下のシリア(アレッポ)で政府軍の銃撃をうけて死去したジャーナリストである。享年45歳。山梨県都留市の人と聞いていたが、生まれが北海道帯広市であるとは知らなかった。
 なんども広島に行っていながら、広島平和祈念資料館にだけは入ることのできないボクには、きわめて辛い本であるが、中に真紅と黄色のポピーと思われる草原が見開きで掲げられているのが救いであった。それとも、この一枚にも犯罪の温床を読むべきなのだろうか。

   寒ければ涙こぼるる齡かな  古沢水馬


# by bashomeeting | 2018-12-10 16:17 | Comments(0)
 「増頁総力奮努号」と銘打って、詩歌誌『北冬』18号が届いた。「奮努」という言葉を使ったことがない。奮励努力か、「奮闘努力の甲斐もなく 今日も涙の 今日も涙の陽が落ちる」(「男はつらいよ」作詞:星野哲郎)の奮闘努力を約めたものであろうか。

 企画名は「藤原龍一郎責任編集」による「特集・[江田浩司]は何を現象しているか。」という。「減少している」は使うが、「現象している」は使ったことがない。どんなありさまを提示しているか、どのように見えているかというふうな意味であろうか。先進とか前衛という場所に似合いの言葉である。

 江田浩司氏は歌人で、現代短歌史を論ずる評論家である。ついでに言えば、わたくしの親しい友人でもある。その江田浩司という「現象」について、神山睦美・野村喜和夫・筑紫磐井・島内景二ら、全38名が筆をとっている。そのなかに「江田浩司と俳句」という雑文をものした、わたくしも含まれている。ひとつの「現象」にこれだけの数の人々が集うこともまた興味深い「現象」といってよいだろう。

 しかし、毎日拾い読みを続けながら、わたくしの関心はこの多彩な執筆者を逸れて、彼らをしっかり束ねている北冬舎の編集・発行人柳下和久なる人物にそそがれている。遠くを観る目と、見続ける心の強い働きがなくては、このような仕事の継続はむずかしいからである。
# by bashomeeting | 2018-11-23 17:19 | Comments(0)
 海紅山房日誌の「姿情を求めて11◆自分を愛してはいけない」(2018年 09月 11日)で、〈「教えてはいけない」という教訓〉についてふれたのち、ぼんやりしていた記憶がよみがえってきた。それは芭蕉のことばであった。備忘として、以下に写しおく。

 俳諧は教へてならざる処あり。よく通ずるにあり。ある人の俳諧はかつて通ぜず。ただ物をかぞへて覚ゆるやうにして、通ずるものなし。(土芳『三冊子』)

▶▶咀嚼すると「俳諧は教えればうまくなる世界ではなく、自分で到達する世界である。ある人の俳諧は少しも読者に届かない。その理由は、ものを数えるように、理屈でわかろうとして、感じようとしないから。これでは俳諧をたしなむ意味がない」ということか。
# by bashomeeting | 2018-09-30 12:03 | Comments(0)
 私の勤める大学に通信教育部があって、年に一度の地方スクーリングをしてきました。今年は『おくのほそ道』結びの地である岐阜県大垣でした。今年度で定年の私にはこれが最後の集中講義でした。感極まったわけではないのですが、最後であると思うとみんな教えてしまおうという気になって、しゃべりすぎたかと反省しています。恩師の「教えてはいけない」という教訓を破ってしまった気がするのです。これは、教えてもらおうとする学生は伸びないという哲学なのですが、最後の年に失敗してしまいました。「いつまでも俳句が下手な原因は自分を愛しているから。自分ではなく、人生を愛した方がよい」というのもそのひとつです。日々の御仕合わせを祈ります。

   靴下のかたちに折れて野分去る      海紅

▶▶『たしなみ俳句会報』44号(平成30年9月)より転載。
# by bashomeeting | 2018-09-11 12:31 | Comments(0)
 市村宏先生の担当科目は万葉集で、ボクの分野からはかなり遠いのだけれど、そもそも大学院開講科目にボクの分野はひとつもなかったのだから、当時のボクにとって受講科目と自分の分野との遠近などたいした問題ではなかったことになる。数年のうちに、他大学の研究者と仕事をするようになって、彼らが大学院で専門性を磨いてきたと知って、正直おどろいた。ボクの場合、70年安保騒動の余波で十分に学ぶことのできなかった、その学部時代を補うために大学院に残ったわけで、郷里に戻って教員になる前に、もう少し深く学びたかっただけであった。

 先生の郷里は信州の小布施で、何度か小林一茶の話をしてくださったことを覚えている。ある年、その小布施の寺で一茶資料展をするというので、先生に誘われて何人かの大学院生と一緒に出かけた。先生の御親戚に泊めていただくという、かなり図々しい旅であったが、はじめてイナゴを食べることになるなど新鮮な経験であった。そして、一茶資料にはニセモノが多くて、とてもボクの手に負えるものではないことがわかるのは、それからまもなくのことである。その生涯も作品もなかなか個性的な一茶なのに、その筆蹟はまことに癖がなく、その分、ニセモノも多く作られたのである。それで、一茶については、いまだに真贋を見分ける自信がない。

# by bashomeeting | 2018-08-15 17:53 | Comments(0)
この人の一句◆『船団の俳句』本阿弥書店刊

啓蟄やブラジャー買いに銀座まで 三池  泉
生きる途中土筆を摘んでゐる途中 鳥居真里子
青葉風そうだお墓を買うておこ  火箱 ひろ
がんばるわなんて言うなよ草の花 坪内 稔典
原発に一番近い草の花      藤野 雅彦
人の来て犬の出てゆく花野かな  河野けいこ
秋夜中カレーを混ぜるとき裸   朝倉 晴美

▶▶船団の会編『船団の俳句』(2018年3月30日、本阿弥書店刊)をいただいた。坪内稔典さんの「まえがき」から抽出した帯に〈近年、いろんなところで、「船団の俳句は……である」という言い方に出会う。……に入るのは、軽薄とかむちゃくちゃとか現代的とか。いずれにしても、否定的というか非難のニュアンスがある。もっとも、それは船団的だな、などと言われると少しうれしい。特色が出ている、ということなのだから〉とある。たしかにボクの行き方とは違うけれど、稔典氏の幅の広さと深さを知っているつもりだから、口語とか無季とかについて示唆を得たくて、いつものように読了。この人たちと連句を巻いたらどんなにか愉しいだろうと思った。


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# by bashomeeting | 2018-05-04 17:46 | Comments(0)
 「春場所」は大相撲の「三月場所」の通称である。これを季題と認定する歳時記と、まだ季感の定まらない題目として立項しない歳時記とがある。それぞれ見識ゆえ、どちらも否定しないが、芭蕉の「季節の一つも探り出だしたらんは後世によき賜物」(『去来抄』故実)という言葉に寄り添えば、季題として挑戦する意欲を排除してはいけないだろう。

 相撲(角力)に即して、季題と歳時記について復習しておこう。これは「張り合う」「抵抗する」という意の動詞「スマフ(争ふ)」の連用形の名詞化。神事(奉納・占い)と結びついて様式化する歴史を持ち、毎年旧暦七月に朝廷で行われる公事(公務・儀式)として定着。すなわち相撲節会(すまひのせちえ)である。旧暦七月は初秋だから秋の季題となって、後世も秋祭りの社寺で行われたので季感を損ねることはなかった。今も拍手(かしわで)を打ったり、注連縄(しめなわ)をするのは、室町期に教義を確立して白川家(朝廷祭祀を世襲した公家)との地位を逆転させた吉田神道家の仕業か。江戸期には勧進相撲(資金集め)を経て職業化し、年間の場所数は時代の煽りをうけて一定しないが、現代は一月場所(初場所)、三月場所(春場所)、五月場所(夏場所)、七月場所(名古屋場所)、九月場所(秋場所)、十一月場所(九州場所)の全六場所である。なお蛇足ながら、これは興行化が進んだ結果であるから、「季節の一つ」として俳句を探りだすためには、国技とか神事などと言挙げしないほうがよい。それは相撲節会の昔のことなのだから。

 俳句歳時記は広い意味における歳時記の一種であって、この二つは同じものではない。歳時記の歳時とは歳象・時事という二つの言葉の合成である。その歳象は春夏秋冬の、それぞれの季節らしい景色(風光)で、時事はそれぞれの季節らしい人間の生活(人事)のこと。だから、歳時記はそれらを解説した百科全書とみてよい。その俳句版が俳句歳時記である。しかし、四季の変化は土地によってズレがあるし、人の暮らしも変わり続けることを踏まえると、どれか一冊あれば永久に役立つというものでもなさそうだ。俳句歳時記は常に新しい作品によって更新されてゆく。ただし、その更新が伝統を無視したものであってはならない。美学がやせ細るからである。

 俳句歳時記のルーツは四季に排列する中国の漢詩文集までさかのぼる。それを平安和歌が受容して日本の自然観を形成。連歌俳諧はその和歌の美学をもとに成立。俳句はその先に位置づけられる。よって日本の美学は当然のことながら京都の美学であったが、享受する者の裾野が広がるにつれ、本意(イメージ)も新しく豊かになる。生きる時代や住む土地によって伝統的な和歌題(縦題)に新しい意味が追加され、いまふうな俳諧題(横題)がすぐれた作品を生んで、歴史を刻みはじめる。しかし、そこに厳しい批評眼が欠如しているため、現代の季題は二万語をはるかに超えたフォアグラ状態にあるのも事実である。俳句歳時記に法典に価する絶対的なものは望めまいが、季題と認定する道筋については共通理解を深める必要がある。

▶▶ある句会の兼題に「春場所」が決まったが、戦前の春場所が1月だったことから、その混乱を危惧する意見が出た。本稿はその問題を手掛かりに、季題とか季語とかに関する私の立ち位置をしめす意図で転載するものである。

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# by bashomeeting | 2018-03-26 20:36 | Comments(0)
 この3月に卒業して郷里に戻る俳諧ゼミの女子学生Sが俳号をほしいという。句会体験が先だよと説いて、2月の白山句会(隅田川畔)に誘った。誘惑の顛末は以下の通り。

1)当日11時(投句〆切り3時間前)に本所吾妻橋駅で待ち合わせて、桃青寺(臨済宗妙心寺末。東駒形3)に向かう。
2)歩き始めに、Sに用意してきた「その日にふさわしい季題(季語)のメモ」を渡す。「春浅し」「あたたか」「春風」なんてのを書いてあったと思う。歩きながら、「まず世間を見廻して、このメモにあるような今日らしい季節の言葉をさがせ」と指示。
3)次に、「季題を発見したら、それをポケットにしまいこめ」と指示。
5)さらに、「季題のことは忘れて、目に飛び込むもの、心に浮かぶことを手帳に書き留めよ」と指示。
4)ちょっと迷子になったので、地元の婦人を頼って桃青寺に辿り着く。この寺はもと定林院、東盛寺と名乗る時代を経て、いま芭蕉山桃青寺という。芭蕉の名をそのまま使っているわけは、素堂(1642~1716)の門人で、俳諧撰集『五色墨』のメンバーであった長谷川馬光(1685~1751)がここに芭蕉堂を建てて祀り、芭蕉顕彰に尽くしたことによる。芭蕉が何度も訪れたという言い伝えがあるが、芭蕉研究史にときどき見かける付会であろう。
5)昔は広かったのだろうが、いまは小さくまとまった寺域には山茶花が咲き残っていた。馬光の墓を探して拝み、隅田川畔に戻り、駒形橋から吾妻橋の先まで歩いて腹ごしらえ。
6)会場の「すみだリバーサイド・ホール」を確認して、海舟の像が何で此処になどと近づいてゆくとMさんと、上方から駆けつけたKさんに遭遇。御一緒して枯蔦の枕橋を渡り、隅田公園に入ると、句会仲間が少しずつ合流して、幹事のYさんお勧めの牛嶋神社参り。撫で牛を撫で、焼失した北斎画の白黒写真をながめて、それぞれ句作。
7)句会場に入ると、挨拶はそこそこに、みんな一人に戻る。見て来たものを整理し、ポケットにしまいこんだ季題をとりだして17音にするためだ。ここからは自分だけの日本語表現。その句会の結果がどうであったかは、芭蕉会議サイトの「白山句会」から「句会報告」へ入って、編集長御苦労の記録を参照のこと。
8)ところで、初めての句会体験をしたSは「あたたかな道に迷子の猫二匹」「山茶花と木魚をきいて桃青寺」などと詠んでいた。猫は見なかった気がするが、本堂から読経と木魚の音が聞こえていた。誘惑の手順に素直で、まずまずの出来ではなかったかと思う。「迷子」とか「木魚」とかいう俳号を進呈したいが、たぶんことわられるであろう。

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# by bashomeeting | 2018-03-06 15:44 | Comments(0)
■正月=睦月(節気上は冬。明治時代以降の陽暦化に伴い、生活・行事の特殊性によって四季から分離独立。連句の付合においてはしばらく春扱いが穏当)

【時候(暑さ寒さ)】元日
【天象(空模様)】なし
【地理(土地の様子)】なし
【動物(動きまわるもの)】なし
【植物(根が生えたもの)】若菜
【生活(暮らし)】なし
【行事(儀式)】子日(若菜摘む・小松引く)

■春=立春から立夏前日まで(陽暦2月4日ころ~5月5日ころ)

【時候(暑さ寒さ)】立春・暮春(晩春)・永日
【天象(空模様)】霞・春月・春雨・遊糸
【地理(土地の様子)】残雪・春氷・
【動物(動きまわるもの)】鶯・帰雁・蝶・蛙・燕・雉子・雲雀
【植物(根が生えたもの)】梅・柳・春草・桜(花)・椿・菫・蕨・藤・躑躅・款冬
【生活(暮らし)】花(はなやか)・耕し・苗代
【行事(儀式)】雛祭

■夏=立夏から立秋前日まで(陽暦5月6日ころ~8月7日ころ)

【時候(暑さ寒さ)】暑し・夏の暮(夏夕べ)
【天象(空模様)】夏月・五月雨(梅雨)・白雨(夕立)
【地理(土地の様子)】清水
【動物(動きまわるもの)】時鳥・蝉・蛍・水鶏
【植物(根が生えたもの)】余花・新樹・橘・卯花・夏草・牡丹・杜若・菖蒲・早苗・青梅・百合草・若竹・撫子・夕顔・蓮
【生活(暮らし)】更衣・鵜飼・氷室・蚊遣火・扇・納涼
【行事(儀式)】仏生会(潅仏会、今は春季なれど)・端午・祭(賀茂祭、葵祭)

■秋=立秋から立冬前日まで(陽暦8月8日ころから11月6日ころ)

【時候(暑さ寒さ)】初秋・冷やか・夜寒・九月尽
【天象(空模様)】露・霧・稲妻・秋の空・野分・月
【地理(土地の様子)】秋田
【動物(動きまわるもの)】蜩・虫・鹿・蚋(ブヨ、ブユ。今は夏季)・雁・蛩(コホロギ)
【植物(根が生えたもの)】一葉・荻・桐・萩・木槿(ムクゲ)・槿(アサガホ)・草花・薄・女郎花・葛・菊・紅葉
【生活(暮らし)】砧
【行事(儀式)】七夕・盂蘭盆会(盆)

■冬=立冬から立春前日まで(11月7日ころ~2月3日ころ)

【時候(暑さ寒さ)】初冬・寒し・短日・師走(極月)・歳暮(年の暮)
【天象(空模様)】時雨・木枯・霜・冬月・霰・霙・雪
【地理(土地の様子)】氷
【動物(動きまわるもの)】水鳥付鴛・千鳥
【植物(根が生えたもの)】落葉・山茶花・寒草(カンサウ。枯草)・冬木立・早梅
【生活(暮らし)】鷹狩・冬籠
【行事(儀式)】なし

▶▶これは慶長年間(1596~1615)に成立(推定)し、「以後の連歌・俳諧の発句撰集の規範となった」(俳文学大辞典)とされる連歌発句撰集『大発句帳』(通称)。内容は春33題(2512句)、夏42題(1729句)、秋47題(1724句)、冬20題(1442句)、合計142題(7407句)から成る。その題を抽出し、季寄せふうに排列。ここから、増補・膨張し続ける現代の俳句歳時記の編纂意識を見直す手がかりを得ることを期待。影印は『連歌貴重文献集成(別巻3)』(勉誠出版)。翻刻と解説は森川昭『発句帳』(古典文庫456)。なお、『大発句帳』の価値については畏友M氏の教示を得た。

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# by bashomeeting | 2018-02-27 17:42 | Comments(0)
「俳諧ゼミの教材として」(2012年 11月 07日)の改訂版の体裁を少し変更して、ここの移動。ゼミのなかで句を詠んだり、解釈をしたり、あるいは連句の付合の実践に役立ててもらうために提供するもの。「姿情を求めて8◆古典で一番基本的な季寄せ」を併せて参照してください。

■正月=睦月。年改まるめでたさを心とする期間。
【時候(暑さ寒さ)】新年・初春(新春)・去年今年・元日・晩冬
【天象(空模様)】初日・初空・初凪
【地理(土地の様子)】初富士・初筑波
【動物(動きまわるもの)】初雀・初鴉・初鶏
【植物(根が生えたもの)】福寿草
【生活(暮らし)】門松(松飾)・初夢・書初・初湯・獅子舞・七種(若菜)・左義長
【行事(儀式)】初詣・初薬師・初大師

▶▶陰暦(江戸時代以前)では新春だが、陽暦の時代(明治以降)が来て、節分(立春の前日)以前に新年が来ることになった。それで春の部に入れられなくなり、俳句歳時記は春夏秋冬の他に新年の部を設けるようになった。節気上は冬だが、行事としては伝統的な春の季感を残すことばの集合。なお連句の付合は近世の式目をもとにするので、今のところ初春(孟春)として扱うのが穏当か。

■春=立春から立夏前日まで(陽暦2月4日ころ~5月5日ころ)
【時候(暑さ寒さ)】立春(早春)・陽春(春暖)・冴えかへる・あたたか
【天象(空模様)】朧・陽炎・風光る・春の空(風・雲etc.)
【地理(土地の様子)】水温む・雪解・春泥・春の山(川・海etc.)
【動物(動きまわるもの)】孕馬(鹿)・猫の恋・蝌蚪(蛙)・鴬・雉子・雲雀・燕・若鮎・白魚・栄螺・蛤・蝶・蜂・蚕(桑子)
【植物(根が生えたもの)】春の草(セリ・ナズナ・ハハコグサ・ハコベ・タビラコ・カブラ・オホネ・タンポポ)・木の花(梅・桜・藤・梨)・菜の花・和布・海苔
【生活(暮らし)】草餅・麦踏・花見・卒業(入学)
【行事(儀式)】雛祭・花祭・遍路

■夏=立夏から立秋前日まで(陽暦5月6日ころ~8月7日ころ)
【時候(暑さ寒さ)】立夏・初夏(首夏)・新緑・麦秋・短夜・盛夏(炎暑・暑し・涼し)・夜の秋
【天象(空模様)】日盛(西日)・南風・薫風・夕立(凪)・虹・梅雨(五月雨)・夏の空(風・雲etc.)
【地理(土地の様子)】植田・泉(清水・滴り)・出水・滝・卯波(土用波)・夏の山(川・海etc.)
【動物(動きまわるもの)】蛇・金魚・蝉・蟻・蝸牛・時鳥・蝿・天道虫・毛虫
【植物(根が生えたもの)】新緑(樹)・若葉(青葉)・卯の花・花橘・菖蒲・アヤメ・カキツバタ・ハナシヤウブ・紫陽花・山梔子・桐の花・樗(栴檀)の花・夏草・薯莪の花・麦・筍・蕗・蚕豆・枇杷・夕顔・茄子(赤茄子)・向日葵・芍薬・牡丹・百合
【生活(暮らし)】田植・麦刈・梅干・草取・更衣・浴衣・髪洗ふ(香水)・夏帽・簾・日傘・扇(打水・水遊び・端居・扇風機・昼寝)・繭・鵜飼・螢・登山
【行事(儀式)】端午・祭(祇園会・禊)・安居・母の日(父の日)・原爆忌

■秋=立秋から立冬前日まで(陽暦8月8日ころから11月6日ころ)
【時候(暑さ寒さ)】立秋(初秋)・秋・残暑(残夏)・新涼・秋の暮・夜長・爽やか・秋冷(秋寒・朝寒・夜寒)・晩秋(暮秋・行く秋)
【天象(空模様)】月(盆の月・名月・十三夜)・星月夜・銀河・流星・稲妻・霧・露・秋の空(風・雲etc.)
【地理(土地の様子)】花野・刈田・水澄む・秋の山=山粧ふ(川・海etc.)
【動物(動きまわるもの)】鹿・猪・渡り鳥(小鳥)・稲雀・落鮎・鰯・秋刀魚・鮭・蜻蛉・虫
【植物(根が生えたもの)】
草の花(萩・尾花・葛花・撫子・女郎花・藤袴・桔梗)・木槿・芙蓉・木犀・桃・梨・林檎・柿・葡萄・栗・柚子・西瓜・糸瓜・芋・唐辛子・玉蜀黍・蕎麦の花・茸・紅葉・蔦・烏瓜・朝顔
【生活(暮らし)】燈籠・夜学・新酒(新走)・新米・栗(茸・零余子)飯・新蕎麦・秋灯・冬支度・案山子(鳴子)・稲刈・夜なべ・菜種(大根)蒔く・萩(木賊・萱・芦)刈る・紅葉(茸)狩・秋思
【行事(儀式)】七夕・盂蘭盆会・硯洗・重陽・秋祭・墓参

■冬=立冬から立春前日まで(11月7日ころ~2月3日ころ)
【時候(暑さ寒さ)】立冬・冬・小春・短日・冬至・師走(年の暮・行く年)・寒冷(寒し・冷たし・凍る・冴える)・日脚伸ぶ
【天象(空模様)】冬日・冬晴・北風(木枯)・時雨・霜・雪・冬の空(風・雲etc.)
【地理(土地の様子)】枯野・水涸る・霜柱・雪野・氷柱・冬の山(川・海etc.)
【動物(動きまわるもの)】
熊(狼・狐・狸・兎)・鷹(鷲・隼・鳶)・狼・梟・水鳥(鴨・千鳥・鳰)・鱈・鰤・河豚・海鼠・牡蠣・綿虫(雪虫)
【植物(根が生えたもの)】冬の梅・臘梅・冬桜・寒椿・山茶花・茶の花・竜の玉・蜜柑・木の葉(枯葉・落葉)・枯木・水仙・千両(万両)・冬菜・白菜・葱・大根・蕪・人参・枯草・返り花
【生活(暮らし)】年用意・飾売・年忘れ・毛布・セーター・冬帽・手袋・マフラー・冬囲・日記買ふ・火事・風邪(咳)・懐手・日向ぼこ・探梅
【行事(儀式)】七五三・柚子湯・クリスマス・豆撒き(追儺)
# by bashomeeting | 2018-02-27 17:11 | Comments(0)
  平成28年(2016)4月28日から同年9月8日まで、「姿情を求めて」というタイトルで全7回の教材を掲載した。題目は「1題詠」「2季寄せ」「3○○らしさの創造」「4歳時記と季寄せ」「5歳時記の歳時とは」「6当季雑詠・兼題・席題」「7世界で一番小さな季寄せ(改訂版)」である。その第7回を削除してやや体裁を改め、今春の記事として復活させる。教材としては近い場所にあった方が具合がよいし、引き続き「古典で一番基本的な季寄せ」を示すためである。

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# by bashomeeting | 2018-02-27 16:22 | Comments(0)
「寒けれど」脇起こし連句(11句) 平29年度俳諧ゼミ

寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき     芭蕉
麻莉乃の屋根に降りつもる雪     麻莉乃
ウェディングベルが山越え野を越えて 真太郎
子栗鼠の口に見ゆる団栗        富博
逃げ出して迷子になりぬビルの月   美帆子
地下道に入る銀杏黄葉         麻実
潮風にどんどん進む老朽化       知也
千鳥と遊ぶ人に客あり         真聖
助手席の幼なじみにプロポーズ     昂良
亡き娘似で色白な孫          沙織
オルゴール今は昔になりにけり     優弥

▶▶平成29年度の俳諧(連句の世界)ゼミ(大学3・4年)は芭蕉と蕪村の歌仙を読んできた。例年通りだが、全員の発表が済んで、さて締めくくりは芭蕉や蕪村とそこに一座する仲間の想像力をたたえるために、我々も座の文芸の連衆になって実作を試み、ハラハラ体験をしてみようと強引に誘った。当季の芭蕉の句を立句に脇起こしにした。

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# by bashomeeting | 2018-01-29 16:10 | Comments(0)
「いざや寝ん」脇起こし連句(10句)

いざや寝ん元日はまた翌のこと  蕪村
散らかる部屋に聞く除夜の鐘   匠
新雪に足跡つけて学校へ     幸叶
鳥が飛び立つただ青き空     恵美
月に雲かかるも楽し団子食ふ   智美
コスモス揺るる公園を出て    安奈
マニキュアの素足に秋の風やさし 円花
髪かきあげる妻の皺の手     潔乃
階段の途中で止まり抱きあへる  祐希
瓦を叩く夕立の音        海紅

▶▶平成29年度の与謝蕪村ゼミ(大学2年)は書簡を読んできた。全員の発表が済んで、さて俳人の本業である連句(俳諧の連歌)に挑戦しようと提案。研究はどこまでいっても舞台の観客の領域を出ない。最後に舞台にあがってみようやと強引に誘った。蕪村ゼミだから蕪村の句を立句に脇起こしにした。

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# by bashomeeting | 2018-01-29 15:49 | Comments(0)
句作の心得◆芭蕉会議10周年記念句会で述べたかったこと

 いま思えば、芭蕉会議の発足は平成17年(2005)で、N氏との運命的な再会でウェブサイトが生まれ、発足イベントがおこなわれたのは翌18年(2006)5月28日のことであった。この2年間は弟の早世や母の野辺送りが続き、職場では組織の統轄に奔走する役回りになるなどと忙しくしていたせいか、事態の推移はぼんやりとしか思い出せない。
 俳句を杖にして暮らすことの仕合わせを噛みしめてはいるものの、所属する俳句雑誌に毎月投句するというリズムにもついてゆけなくなっていた。それで芭蕉会議が平成27年(2015)に10周年を迎えるという話題が出るようになっても実感はわかない。こんな無自覚を叱咤するように有志による記念誌編集委員会がうまれ、平成29年10月22日を刊記とする『芭蕉会議の十年』と『芭蕉会議俳句選集』を作ってもらい、その翌々月の12月2日には記念の俳句会と祝賀会がおこなわれた。以下はその句会で話して、意を尽くせなかった句作の心得の整理である。

 ……句会のある何日も前から時間をかけて趣向を練り、あれこれ思案して、当日に投句する句を手帳に書きためる。歳時記を開き、過去の作例を読み、辞書をひいて慎重に言葉をさがす作業である。芭蕉の伊賀成長期や江戸市中居住期、また蕪村一派の兼題発句会が、おおむねこうした理性と知恵を総動員する作り方をしていた。こうして生まれる句のなかには、ときおり深い味わいをもつものがある。しかし、それをそのまま句会に出しても、自分の考えた深い味わいが連衆に通じなく、重々しい感じは魅力のひとつだが、手がこんでいるために言葉の向こうに画像を結ぶことができず、最終的には読者に警戒されて、互選外に切り捨てられることも多い。
 そうした独り善がりを克服するために、吟行という方法で自分に向かい合うのはきわめて理に叶っている。つまり、ふだんは自分に課された日常をシッカリこなし、句会当日はその日常生活から解き放たれ、最近の自分を見つめ直す時間を得たことに感謝し、投句〆切り時刻を意識しながら、自然の中に句材をさがし、それを言葉に置きかえる語彙力を動員し、制限時間内にまとめるよう、自分を攻めるのだ。
 まがりなりにも、それができたとき、つまり不満ながらも句が出揃ったかに見えたときに、ボクが短時間勝負の吟行(嘱目詠)の結果として気をつけている手続き、7項目を示して参考に供す。決まった時間内に集中して句作するのは、もし出来なかったら怖いと思ったりもするが、実はその怖さ・真剣さこそが、言葉で自己を美しくすくい取る最良の道であると思う。
 なお、つねづね、投句終了までは私語を慎んで、ギリギリまで頑張っている人に気を遣ってくれと申し上げているのは、これが理由である。

1)観察(写生)したか→姿先情後
2)ヘソ(中核)はあるか→感動の焦点
3)必要な言葉のみに絞ったか→文章力
4)言葉を飾っていないか→無駄の削除
5)感情に酔っていないか→私意を捨てよ
6)全体の調子は整ったか→舌頭に千転
7)自分の句と思えるか→主題の確認

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# by bashomeeting | 2018-01-21 19:56 | Comments(0)
西村一平の作歌の心得

……余計なことを云つてゐないか、云ひ方が露骨でないか、言葉が不精確でないか、語法が間違つてゐないか、歌わうとした感じが適切に出てゐるか、どことなく調子が悪くないか。

▶▶これは長谷山隆博氏によって最近発見された「青樹会」の合同歌集『青樹集』所載。本書は袋綴、ガリ版刷り、90頁で、収められる西村一平の歌論の一節(長谷山隆博著「一兵の歌」『芦別文芸』44号所収、平30.1.20)所載。成熟した短歌や俳句に共通する、明治以降の詩歌表現の心得の到達点と判断して転載する。西村一平は歌人で六花書房(芦別市)主人。明治44年(1911)~平成13年(2001)、90歳。石川県金沢市生。大正初期に母に連れられて北海道に渡る。芦別・赤平に育ち、札幌逓信講習所を卒業して十勝本別郵便局配属。昭和5年(1930)、芦別郵便局に転じ、同6年には与謝野寛・晶子に師事。召集、復員。昭和22年(1947)退職。同年芦別に短歌会の「青樹会」設立。新詩社同人。歌集に『橇の鈴』『石狩びと』他、自伝に『石狩にふる星』等がある。なお、『芦別文芸』は北海道芦別市に発行所を置く「芦別ペンクラブ」の文芸誌で、会員以外の一般にも投稿を呼びかけている。問い合わせは編集兼発行人の長谷山隆博氏(Phone:0124・23・0203)。

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# by bashomeeting | 2018-01-21 15:37 | Comments(0)
この人の一句◆寺澤佐和子句集『卒業』ふらんす堂刊

鶯や行き先知らぬバスに乗る
偽物の風なまぐさき扇風機
花疲れまづは指輪を外しをり
秋澄むやサンバの腰のよく肥えて
ゆつくりとひらくお茶の葉女正月
小さき刃のごと公魚の冷たさよ
青年の日焼スーツに収まらず
稲架けておほきく散らす陽の匂ひ
冬の日や目鼻ちひさきマリア像
母の忌ややはらかく踏む敷松葉
冬萌や雀相手の尼のこゑ
今日よりは臨月に入る良夜かな
寝返りの背を追ひかけて天瓜粉
春嵐喧嘩は妹泣かすまで
子を叱りつつ栗の実を甘く煮る
先生にそつと耳打ち卒園す
学芸会の台詞二言秋日和

▶▶寺澤佐和子句集『卒業』。作者は東京在住。結婚して熊本に住んだことがきっかけとなり、首藤基澄に俳句を学び、「未来図」に入会して同人。平成20年に未来図新人賞。海紅とは同窓の縁で本書を贈られた。帯に自選15句を示すが、上記の海紅推薦句と重なるものは「今日よりは臨月に入る良夜かな」の一句であった。選句とはまことに難しい。俳人協会会員。ふらんす堂、平成29年9月刊。

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# by bashomeeting | 2017-11-28 10:57 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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