先に「芭蕉と曽良は迷うことなく松島から石巻へと向かっている」と書いたが、実は矢本新田(東松島市)で喉が渇いて湯茶を乞うも、どの家からも拒まれ、今野源太左衛門という武士のはからいで、その知人宅へ立ち戻って喉を潤し、石巻の宿まで紹介されて一宿という一幕はあった。
宿の主の名は四兵衛という。先生と私はこの四兵衛の末裔をすでに探しあてて面識もあり、菩提寺で過去帳の調査も済ませ、日和山を初めとする芭蕉の見た石巻をほぼ踏査していた。そこで翌日は二人で石巻を出立し、芭蕉の足跡にしたがって登米へと足を延ばす予定であった。
翌朝、石巻駅前に出てタクシーに相談すると、総額一万六千円で、どこまでも、何時まででも案内するという。そこで旧北上川の西沿いを鹿又(石巻市)、柳津(登米市)、飯野川(桃生郡河北町)と車を走らせて登米に到達。江戸の匂う武家屋敷と明治の洋風建築が併存する不思議な町を歩きまわった。
それは先生の老いを目撃しはじめる、淋しい時間のはじまりとなった。
ムササビを寝覚めの友に峡の宿 海 紅
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