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最後の二人旅(其4)◆たしなみ俳句会会報(No.120)より転載

 時雨ということばを御存じであろう。奈良(平城京)や京都(平安京)など山に近い地域で、にわかに降ったりやんだりする初冬(神無月。陰暦十月)の小雨。すでに平安時代に初冬の天象として扱われているが、その認識は「神無月降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬の始めなりける」(読人しらず・後撰集・冬)という和歌がもたらした。歌意は〈十月の雨、つまり、にわかに降ったりやんだりして、はっきりしない時雨が冬の始まりだったのだ〉となる。
 この時雨は現世を生きる苦痛と対比させた「世にふるは苦しきものを真木の屋にやすくも過ぐる初時雨かな」(二条院讃岐・新古今・冬)を本歌とする「世にふるもさらに時雨の宿りかな」(宗祇・老葉)によって、〈あっけない人生〉の比喩となり、「世にふるもさらに宗祇の宿りかな」(芭蕉・虚栗)という賛同者を得た。
 わが師も最後の二人旅の数年後に、「身の上にただ一時雨ありしのみ」(紅花・葛)と詠んで、学者と俳人の生涯を振り返っている。

  古びたる虚子短冊に初明かり   海紅


# by bashomeeting | 2025-01-19 21:20 | Comments(0)

2025年賀

あけましておめでとうございます

ね ぎ ご と に 動 く 唇 初 詣   海紅

  2025年乙巳 歳旦


# by bashomeeting | 2025-01-02 14:33 | Comments(0)

最後の二人旅(其3)◆たしなみ俳句会会報(No.119)より転載

 先に「芭蕉と曽良は迷うことなく松島から石巻へと向かっている」と書いたが、実は矢本新田(東松島市)で喉が渇いて湯茶を乞うも、どの家からも拒まれ、今野源太左衛門という武士のはからいで、その知人宅へ立ち戻って喉を潤し、石巻の宿まで紹介されて一宿という一幕はあった。

 宿の主の名は四兵衛という。先生と私はこの四兵衛の末裔をすでに探しあてて面識もあり、菩提寺で過去帳の調査も済ませ、日和山を初めとする芭蕉の見た石巻をほぼ踏査していた。そこで翌日は二人で石巻を出立し、芭蕉の足跡にしたがって登米へと足を延ばす予定であった。

 翌朝、石巻駅前に出てタクシーに相談すると、総額一万六千円で、どこまでも、何時まででも案内するという。そこで旧北上川の西沿いを鹿又(石巻市)、柳津(登米市)、飯野川(桃生郡河北町)と車を走らせて登米に到達。江戸の匂う武家屋敷と明治の洋風建築が併存する不思議な町を歩きまわった。
 それは先生の老いを目撃しはじめる、淋しい時間のはじまりとなった。

  ムササビを寝覚めの友に峡の宿    海 紅
# by bashomeeting | 2024-12-22 17:24 | Comments(0)

最後の二人旅(其2)◆たしなみ俳句会会報(No.118)より転載

 芭蕉の『おくのほそ道』は風雅、つまり俳諧の美的境地を追求する紀行とされているが、その裏に内偵に似た実務が隠されていると先生は考えていた。ボクらが「それは無理だと思います」と首をかしげても、「私は本気なのだがなあ」と不満そうだった。周囲に、斎藤栄『奥の細道殺人事件』のモデルは先生である、という噂が流れたことには理由があったのである。

 実際の旅、つまり『曽良旅日記』の中で、芭蕉と曽良は迷うことなく松島から石巻へと向かっているのに、『おくのほそ道』では、途中で「道ふみたがえて」石巻に出て、そこで一泊して北上し、さらに登米(とよま)に一宿して平泉にたどり着いたと書いている。先生によれば〈道を間違えて、石巻という港に出た〉というのは作りごとで、日本海側の酒田と並んで、東北二大貿易港であった石巻を調査する目的を隠すために、「道ふみたがえて」の一節が加えられたというのである。私はそのあたりの謎を探る旅に同道したのであった。

  人道といふ言葉このごろうそ寒し  海 紅
# by bashomeeting | 2024-11-23 16:51 | Comments(0)

最後の二人旅◆たしなみ俳句会会報(No.116)より転載

 その日は、いつも待ち合わせ場所にしている私の研究室に先生は来なかった。電話も通じないまま、二時間ほど待つうちに不吉な思いが募り、山手線と私鉄を乗り継いで先生の御自宅を訪ねたが、施錠されて人の気配がない。家の中を確かめたいと最寄りの警察に相談したが、家族の承諾がなければ鍵を壊して入ることはできないといわれ、やむなく研究室に戻って放心の態でいたところに先生からの電話が入った。予約していた石巻のホテルに一人でいるといって、待ち合わせを反古にしたことを詫びた。私はすぐに飛び出し、上野から新幹線で宮城へと向かう。今思えばこれが最後の二人旅であった。

夕月や父母亡き今もわが生家   海紅


# by bashomeeting | 2024-09-24 16:54 | Comments(0)

芭蕉会議の谷地海紅(快一)のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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