常世へ22 ―追悼文◆江田浩司※
2009年 08月 02日
私が村松先生に初めてお会いしたのは、東洋大学の二年生の春ではなかったかと思う。私が東洋大学に入学したときが、村松先生の国内留学の年に当たっており、一年生の折には、お会いする機会は訪れなかった。今から三十年ばかり前の話である。
当時、学部のサークルの一つである中世近世文学研究会に所属していた私は、村松先生から芭蕉の連句の解釈と俳句の実作のご指導を受けた。多少は本を読んでいるという自負を持っていた私は、村松先生に俳句や文学についてずけずけと率直な質問をした。青二才の思い付きの質問にも関わらず、村松先生は静かに耳を傾けられ、丁寧に答えて下さるのが常だったように記憶している。また、遠慮のない私を却って面白がって頂き、村松先生の方から質問されることもあった。
その頃の私が好んでいた俳句は、山口誓子や中村草田男の句である。正直なところ、高野素十の句の良さがよくは分かっていなかった。客観写生と花鳥諷詠の大切さを、やさしく噛んで含めるように教えて下さる村松先生に、誓子や草田男の句のすぐれた面を吹聴していた。
しかし、村松先生はそのような私に自由に俳句を作らせ、ご自分の俳句観に無理に引き込もうとはなさらなかった。それは私の俳人としての資質に、早々と見切りを付けておられた上でのことであったかもしれない。
しかし、私は自分の思うがままに句作を続けさせて頂けたことで、そのときの体験が現在にも活かされていることを、最近とみに感じることが多い。村松先生のご指導により短詩型文学の本質に真正面から向き合うことができたのではないかと思っている。
ある日のお酒の席で、村松先生が「文学の質とお酒の量は比例するものだよ。」と仰ったことがあった。もちろん、冗談である。しかし、そのお話の続きに、虚子も素十も酒豪であったが、お酒のときには俳句の話はしなかったというお話が続いた。句会に全身全霊で集中し、その後の酒席では句会の緊張感から心身を解放するために、お酒をじっくりと味わうという意味のお話だったように記憶している。今思い返してみると、そのお話は私に対する戒めの言葉でもあったのではないかと思われる。私は句会の後の酒席で、俳句について議論をするのが常であった。村松先生が私に対して本当に仰りたかったのは「文学の質とお酒の飲み方の質が比例する。」ということではなかったのだろうか。
また、あるとき「幸福の量と不幸の量が比例している。」というお話をなさったことがあった。それは、世の中についてのことだったように思うが、私には個人の問題として身に染みた。私にとっての幸福の一つが、村松先生にお会いできたことであるのは申し上げるまでもない。そして、村松先生のお人柄に触れさせて頂けたことが、私に不幸に打ち勝つ勇気を与えてくれたことも確かである。
句作をされているときの近づきがたいご様子と、打って変わった酒席でのご温顔を忘れることができない。
村松友次先生の安らかなご冥福を、心よりお祈り申し上げたい。
―『葛』六月号より転載―