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紹介:俳句教養講座(角川学芸出版)◆編者のことば

   『俳句教養講座』のススメ    片山由美子

 この講座は、つぎのような俳句実作者に薦めたい。
・現代俳句と古典は別もの。芭蕉を知らなくても実作に支障はないと思っている人。
・七夕はなぜ秋なのか疑問に思っている人。
・題詠というのはそもそも何か。いつから行われてきたのかを知りたい人。
・「切れ」とは、何から切るのかを考えたことがない人。単なる間だと思っている人。
・「切れ」は上五がもっともだいじだと思っている人。
・取り合わせるものは遠ければ遠いほど面白い。つまり、俳句は二物衝撃だと信じている人。
・写生こそ俳句であると思っている人。
・芭蕉の「古池や」の句をどう読んだらよいか分からないという人。
 いくつかは心当たりがある、という人は案外多いのではないだろうか。一つでも該当したら、講座のどこかを読んでみてほしい。必ず目から大きな鱗が落ちるはずである。編集に当たった私自身、きわめて多くのことを学んだ。 

   古典と現代との架橋に……   谷地 快一
 
 大学のゼミで出合った連句(俳諧の連歌)の世界に魅せられて、詩人気取りの青年期と訣別した。やがて「俳諧を研究するなら、俳句を作らなければダメ」と誘われ、俳文学の研究とは別に句会にも精を出すことになる。それから三十数年が過ぎたが、研究の場で実作が話題になることはなく、句会で近世俳諧に話がはずむこともまれであった。俳文学会に入会する俳人がいても、明治時代と江戸時代をまたぐ問題提起の不足ゆえに、いつしか足が遠のいてしまうように思われた。
 だから『俳句教養講座』を刊行すべく、平成17年に始まった片山・筑紫・宮脇三氏との勉強会は刺激的で、宿題を出したり出されたりする中で、ふいに小鳥が飛来するような至福の時間を何度も味わった。
 昭和25年に結成された俳文学会は、それまで棲み分けて来た俳句と雑俳を連歌や俳諧の流れに位置づけ、句作への渇きと研究への渇きを一体化しようという挑戦であった。この『俳句教養講座』がそうした古典と現代との新しい架橋になることを夢みている。

   教養は不可欠な知識       筑紫 磐井

 俳句雑誌といえば戦前の改造社「俳句研究」(昭和9年~19年)を思い出すように、俳句講座といえば同じ改造社の『俳句講座』全10巻(昭和7年~8年)を思い出します。これは、当時著名な俳諧研究者と実作者が協力してさまざまな観点から俳句を論じたシリーズでした。この時代、一般社会にもアカデミックな雰囲気があふれ、アカデミアも実社会への関心にあふれた時代であり、研究者と実作者の協力が抵抗なく促された時代でした。戦後60年経った今、これらは極端なほど分離し、知的批評のない実作と、実作へのつながりのないこまごまとした課題の研究に向かいかねない状態となっています。季語の問題、切れの問題、ジャンルの問題、俳句性の問題は両者の協力がなくては明らかにすることができないはずです。今回のシリーズを「教養」と銘打ったのは、いたずらに知識や経験を誇ることでなく、知に裏打ちされた実作を可能とする講座としたいと考えたからです。


   詩の言葉に関心のある読者に  宮脇 真彦

 俳句は、なんといっても短い詩である。短いがゆえに、言葉はさまざまな働きをして、詩的時空を立ち上げてくる。17音の日本語が、どんなメカニズムによって詩的世界を形作るのか―、その一点について、いろいろな観点から考えてみたのが、この講座である。
 俳句の実作者にとっては、自分の言葉を意識的に使うための武器ともなりうる理論的背景を提供してくれるだろうし、また研究者にとっては、自身の関わっている研究対象へのアプローチの指針として、さらなる研究の深化を促すものとなるにちがいない。だが、それ以上に、俳句の言葉に関わる様々な問題を論じたこの講座は、いままで俳句とあまり関わりのなかった一般の読者に、詩の言葉についての理解を、さらには日本語の可能性を示すことになるだろう、と期待している。俳句は、その短さによって、日本語を鍛え、文学の裾野を押し広げ、ひいては日本の文化を形作ってきたからである。

                          ―角川学芸出版HPより転載―
by bashomeeting | 2010-01-14 13:45 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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