闇を見よとや1◆風羅坊とは心のこと
2010年 01月 23日
〔笈の小文〕 松尾芭蕉の紀行文。貞享四年(一六八七)八月に、鹿島に隠栖中の仏頂和尚を訪ねる旅(『鹿島詣』)をした二ヶ月後に、上方に向けて旅立った際の紀行。貞享四年(一六八七)十月二十五日から同五年四月二十三日に至る。ただし、芭蕉自身が完成させたものではなく、芭蕉の残した断片を門人乙州が集めて編集したもの。尾張・三河・伊賀・伊勢・大和・紀伊を経て須磨・明石に及ぶ。
〔風羅坊〕 『笈の小文』冒頭に掲げる芭蕉の芸道観。本文は以下の通り。
百骸九竅の中に物有。かりに名付て風羅坊といふ。誠にうすものゝかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好こと久し。終に生涯のはかりごとゝなす。ある時は倦で放擲せん事をおもひ、ある時はすゝむで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたゝかふ(う)て、是が為に身安からず。しばらく身を立む事をねがへども、これが為にさへられ、暫ク学で愚を暁ン事をおもへども、これが為に破られ、つゐ(ひ)に無能無芸にして只此一筋に繋る。西行の和哥における、宗祇の連哥における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。 (『笈の小文』宝暦六年刊)