闇を見よとや2◆蓑虫の音
2010年 02月 06日
秋がやってくるたびに、頭をもたげる懸案がある。松尾芭蕉が聴いた蓑虫の鳴く声とはどのようなものかという問題である。わたしはこのごろ、それが〈声なき声〉を聴くという禅問答であると思うようになった。
貞享四年(一六八七)八月十四日、芭蕉は『鹿島(かしま)詣(もうで)』の旅に出る。鹿島神宮参詣と月見を目的として、神道家の曽良(そら)と、芭蕉庵の傍に住んでいた禅僧宗波(そうは)を伴った。神宮参詣を終えて、翌十五日は芭蕉参禅の師である仏頂和尚の長興庵に泊まり、雨月と雨後の月との景趣を賞美して深川の草庵に戻る。仏頂は鹿島根本寺(こんぽんじ)の前住職で、当時は隠居の身であった。
「蓑虫の音」の句を得たのは、この少し後のことである。
草のとぼそに住みわびて、秋風のかなしげなる夕暮、
友達のかたへ言ひ遣はし侍る
蓑 虫 の 音(ね) を 聞 き に 来(こ) よ 草 の 庵 (『あつめ句』)
〈草庵にひとり住みわびて、秋風の音が切なく聞こえる夕暮れに、友達に言い送る〉と前書きして、〈わが草庵に蓑虫の音を聞きに来ませんか〉という意である。
蓑虫は鳴かない。これは事実である。それが鳴くとされるのは、周知の通り『枕草子』の「虫は」と題された中に、蓑虫を、親を待ちこがれる鬼の子として鳴かせて以後のことである。その内容を咀嚼(そしやく)して示せば、〈蓑虫の父親は鬼である。それで母親は恐ろしい鬼の本性があらわれることを疎(うと)み、「秋風が吹く季節には迎えに来るから」と言い含めて、鬼の衣装である蓑を着せて子を捨ててしまう。蓑虫はそれとも知らず、秋風の音を聞き分ける季節が来ると、親を慕って「ちちよ、ちちよ」と心細げに鳴くのがあわれだ〉となる。解釈に諸説があるが、その原因は清少納言の文章の仕上がりの悪さにある。『枕草子』が舌足らずなのは、零落した神が鬼と変じる話がいくつも伝承され、よく知られていたからだろう。
ともあれ、これを淵源に連歌俳諧の約束事としては。蓑虫を、「雑(ざふ)なり。鳴くとすれば秋なり」(貞徳『御傘(ごさん)』)、「鳴く声など加へても、またただにても秋なり」(混空『産衣(うぶぎぬ)』)などと説き、その見解を異にしつつも、秋のことばと定めてきた。しかし、現実には百科全書『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』に「俗説に、秋の夜鳴きて曰、秋風吹けば父恋しと。しかれども、いまだ鳴声を聞かず」とあって、蓑虫の鳴く音を疑い、何らかの付会の結果と見る時代が到来していたのである。
つまり、芭蕉庵に限って蓑虫の音を聞くことができるはずはなく、そこに友人を誘うのはおかしい。とすれば、「蓑虫のおぼつかない鳴声でも聞こうと、じっと耳を澄ましています」とか、「蓑虫はちちよちちよと鳴くそうですが、静かなこの草庵でならその声も聞えるかもしれません」などと、鳴く虫として扱う通解は当たらない。芭蕉は、耳を澄ませても聞こえないものに誘っている。それは音のない音以外にない。作者は蓑虫に無音という音を聴いたのである。この句は、同年冬刊行の其角(きかく)編『続虚栗(ぞくみなしぐり)』に「聴閑(ちようかん)」と前書して収められた。〈閑を聴く〉とは〈声なき声を聴く〉ことであろう。前書を付すということは、芭蕉みずから其角に下した指示と見るべきである。
―『東洋』第45巻7号(2008.10.1)より転載―