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古典文学講座◆「読む」とは「詠む」ということ

 さいたま市与野に、数年前に建設された鈴谷公民館という立派な施設がある。そこの依頼で、「松尾芭蕉をあなたに―俳句と絵画のコラボレーション」と題する古典文学講座(全4回)を担当した。五月十一日(火)から六月一日(火)まで、週一回の企画で、鈴谷公民館と与野本町公民館の共催であった。申し込みは定員の50名を超えたが、会場に入りきれるならかまわないとお伝えし、抽選ではずれが出るのを避けた。

 第一回目は「芭蕉が生まれるまで ― 連歌俳諧の歴史をのぞく ―」と題して詩歌の歴史を振り返り、芭蕉の誕生と、時代を超えたその魅力の発見に努めた。資料に掲げた「話のあらまし」は次の通り。
 芭蕉は俳人であるという。しかし俳人は俳句を作る人のことかというと、そうではない。芭蕉ばかりか、蕪村も一茶も、実は連歌という長い歴史を受け継いで、俳諧(今は連句という方がわかりやすい)という、共同制作の詩に遊ぶ人々だった。その歴史を少しのぞいて、今まで抱いていた芭蕉に対する先入観を取り除いてもらおうと思います。近代詩歌が忘れてしまった、この「聯のこころ」を学ぶことが、コラボレーションに遊ぶ入口だと思うからです。

 第二回目は「『おくのほそ道』の読み方― 会って別れるということ ―』と題して、芭蕉が旅を通してたどり着いた人生観を考えた。資料に掲げた「話のあらまし」は次の通り。
 『おくのほそ道』はどう読めばよいのか、芭蕉が生涯をかけて辿り着いた人生観と旅は、どのような関係にあるか。この話が『おくのほそ道』全篇を読むきっかけになりますように。

 第三回目は「『おくのほそ道』の連句―鑑賞は創作である―』と題して、近代詩歌が忘れ去った連句という座の文芸について解説した。教材は『おくのほそ道』の途次に、須賀川で巻いた「風流の初や」歌仙を用い、式目などの知識はほどほどに、作品をいまふうに翻案して遊んだ。

 第四回目は「詩人になろう―俳句と絵画のコラボレーション―」と題して、参加者に写真や絵はがきを持参してもらい、初めての俳句に挑戦してもらった。これには、私の俳句につゆ草さんが添えてくれた写真がよい教材になった。

 全四回を通して、私が語りかけた内容を要約すると次のようなことになる。

 誰にも語り継ぎたい物語がある。その物語はロダンの「考える人」のように背中を丸め、頬杖をついていても生まれるものではなく、ある他者(対象)を通して、「あゝ」という感動になって現れる。それが自己表現である。その感動を三十一音にひらけば短歌、十七音にひらけば俳句である。芭蕉は旅も自己表現に有効な他者(対象)と考えていた。短歌も俳句も、詩型としては丁寧に説明する字数を持たないところに特色がある。これは言い尽くすことのできない詩型ということである。よって、言いかけて途中でやめてもよいという気持ちで、自分の思いを語ってみることが大切。思いのすべてが伝わらなくてもよい、というくらいの軽い気持ちで句を作りたい。ひとつの言葉が思いつくまで、写真や絵はがきを凝視してほしい、読んでほしい。読む(read)ということは詠む(compose a poem)ということなだから。
Commented by tuyukusa at 2010-06-08 18:28 x
50人もの聴講者すごいですね。私もお聴きしたかったのですが地域の方優先かなと思い止めました。新たな1歩ですね。少し関ることが出来幸せです。
Commented by kaicoh at 2010-06-09 01:10 x
ありがとうございます。かずみさんが拡大でカラーコピーをしてくれて、もうみなさんに感謝です。
by bashomeeting | 2010-06-07 10:41 | Comments(2)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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