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検証◆客観写生と花鳥諷詠

 高橋進氏の「客観写生か花鳥諷詠か―高校の俳句の授業で―」(俳人協会「俳句文学館」470号、2010.6.5)を読んだ。その主意は、〈虚子は《主観写生》から《客観写生》への考えを深め、昭和に入ってすぐに《花鳥諷詠》の境地に至った〉。よって、昭和以降の虚子の句を《客観写生》と説明するのは不適切で、あくまで《花鳥諷詠》とすべきだと結論する。しかし、これはあまりにも図式的な強弁ではなかろうか。「客観写生」も「花鳥諷詠」も同じ事柄の言い換えに過ぎないのではなかろうか。教育現場のことなので、積極的な検討がのぞまれる。

  白牡丹といふといへども紅ほのか     虚 子
  
 これは大正十四年(1925)五月十七日の大阪毎日俳句大会における句。高橋氏は、この句を「人々は白牡丹と言うけれども、虚子はそこに仄かな赤みを発見した」と高校生に説き、〈このように物をじっと見て詠む姿勢が《客観写生》である〉と教えたという。

  流れ行く大根の葉の早さかな        虚 子

 これは昭和三年(1928)十一月十日の九品仏吟行の産物。高橋氏は、この句を「この句は目の前にある物(大根の葉)をじっと見て詠んでいるが、その後ろに人の生活がいろいろ見えてくる。こういう俳句への姿勢を《花鳥諷詠》というんだ」と教えたという。

 だが、ボクには前者の白牡丹の後ろにも人や人の暮らしが見えるし、後者の大根の葉の早さも作者の新鮮な驚きであり、発見であるように思われる。

 
 
by bashomeeting | 2010-06-13 17:29 | Comments(0)

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