題詠も感動が先にある詩歌なり◆坪内稔典さんの講演を聴く
2010年 08月 12日
話は、22歳で喀血して子規と号して以後、余命十年を自覚して生きるということは、彼にとって病気を楽しむことのほかならなかったという主旨。俳句・短歌そして文章、また読書や議論もそうした真摯な人生の産物ということになる。
中で稔典氏は、西欧から新しい詩歌が入ってくる明治時代を、近代と前近代の境界とした上で、近代はまず感動があって表現へと向かう時代だが、それまでの日本(前近代)は初めに表現があって、あとから感動が付いてくるという文化を構築していたと説いた。いわゆる題詠がそれで、子規が親しんだ一題十句・運座(膝廻し・袋廻し)・競吟などは、表現が先にあって、しかるのちに感動がそなわるという句作法だという。
学ぶことの少なくない話であったが、ボクには一点だけ異論がある。すなわち、題詠は誤解されることが多いけれど、これまた感動なしに表現されるものではない。和歌における、客観写生における、花鳥諷詠における題詠は、けっして表現を先にして、感動をあなたまかせにするものではない。題詠もまた感動が先にある表現である。
田村御時に、女房のさぶらひにて
御屏風の絵御覧じけるに、「滝落ち
たりける所おもしろし。これを題にて
歌よめ」とさぶらふ人におほせられ
ければよめる
思ひ堰く心のうちの滝なれや落つとは見れど音のきこえぬ(三條町・古今・雑歌上)