祖母に抱かれる蕪村◆日高ライブラリーカレッジ講演
2010年 08月 12日
この日は立秋(旧暦六月二十七日)だったので、枕に、
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(敏行・古今・秋上)
をあげて、緑陰を通る風がすでに秋であることを指摘した。
さらに、秋と言えば仲秋の名月が賞美されたこと、中でも今年は年金不正受給にからんで、百歳をこえる老人の行方がわからないという、現代版の棄老伝説が哀しくて、どうしても姨捨山の月(長野県千曲市)を思い出してしまう。それは、更級に住む男が妻の意見をいれて、親代わりに等しい恩のある老婆を山に捨て置いて逃げ帰るが、折から澄み切った名月を見て後悔し、「わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」と詠んで、翌朝老婆を連れ戻しに行ったという話であると話した。
そして、〈わが心なぐさめかねつ〉と言わねば気がすまない人は短歌、言いたくても言えない人は俳句に適しているかもしれない。蕪村は言いたくても言えない人、禁欲的な人であった。それはなぜかを推理したいと話した。
つづく講義概要は以下の通り
蕪村の読者には、その俳句や連句によって虜(とりこ)になるよりも、はじめは「北寿老仙をいたむ」や「春風馬堤曲」「澱河歌」「老鶯児」という和詩の連作詩篇に魅せられたという人が少なくない。そこに萩原朔太郎著『郷愁の詩人与謝蕪村』(昭11)からの影響を認める人も多い。そこで今回は和詩や俳句から蕪村の郷愁の念を汲み取りつつ、蕪村の〈ひとりぼっちの原点〉を推理する。
具体的には、
1,「淋しすぎる景色」と題して、蕪村の佳句数十句を解説し、なにゆえかくも淋しい景色を描いたのかという問題提起をした。
2,「不可解なる哀傷」と題して、「北寿老仙をいたむ」を鑑賞し、蕪村の生い立ちには実の父母の影がうすいことを指摘し、どのような幼少期を送ったかを推測した。
3,そう推測させる手がかりとして、「春風馬堤曲 三部作」 (安永六『夜半楽』所収)を丁寧に読んで、「春風馬堤曲」中の藪入り娘は蕪村の二人の姉のどちらかがモデル、作品の終盤で白髪の人に抱かれているのは蕪村少年、抱いているのは祖母以外に考えられないと話した。蕪村は幼少期に実の両親と別れて育ち、その愛情をうけることは殆んどなかったという、ボクの昔からの思い込みを紹介し、批判してもらった。
4,「懐旧のやるかたなき実情」と題して、『夜半楽』に収める「春風馬堤曲」成立の実情を吐露する書簡(安永六年二月 柳女・賀瑞宛)を読んで、蕪村の孤影の全体像を想像してもらった。
このたび「淋しすぎる景色」としてあげた蕪村の名句は以下の通り。
1古庭に鶯啼きぬ日もすがら(寛保四歳旦)
遊行柳のもとにて
2 柳散清水涸石処々(句集484)
3 離別れたる身を踏込で田植哉(句集357)
4 春の海終日のたりのたり哉(句集117)
5 楠の根を静にぬらす時雨哉(句集677)
6 凩や何に世わたる家五軒(新選)
7 短夜や芦間流るゝ蟹の泡(句集271)
8 みのむしのぶらと世にふる時雨哉(遺稿525)
9 牡丹散て打かさなりぬ二三片(句集246)
かの東皐にのぼれば
10 花いばら故郷の路に似たる哉(句集325)
11 路たえて香にせまり咲いばらかな(句集326)
12 愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら(句集327)
13 水落て細脛高きかゝし哉(句集576)
14 狐火の燃へつくばかり枯尾花(句集738)
15 易水にねぶか流るゝ寒かな(句集805)
16 若竹や橋本の遊女ありやなし(句集305)
17 葉に蔓にいとはれ顔や種瓢(遺稿321)
18 草枯て狐の飛脚通りけり(句集737)
19 みの虫の古巣に添ふて梅二輪(遺稿50)
20 牡丹切て気のおとろひし夕かな(句集251)
老 懐
21 去年より又さびしひぞ秋の暮(句集553)
22 うき我に砧うて今はまた止ミね(句集610)
23 水にちりて花なくなりぬ岸の梅(遺稿86)
24 さみだれや田ごとの闇と成にけり(新花摘)
25 さみだれや大河を前に家二軒(句集346)
26 蚊の声す忍冬の花の散ルたびに(句集303)
27 我帰る路いく筋ぞ春の艸(自画賛)
28 月天心貧しき町を通りけり(句集529)
29 蕭条として石に日の入枯野かな(句集742)
30 葱買て枯木の中を帰りけり(句集803)
31 ゆく春やおもたき琵琶の抱ごゝろ(五車反古)
懐 旧
32 遅き日のつもりて遠きむかしかな(句集116)
33 几巾きのふの空のありどころ(句集161)