研究発表◆蓑虫の内なる芭蕉
2010年 08月 12日
資料に示した発表要旨は以下の通り。
くさの戸ぼそに住わびて、あき風のかなしげなるゆふぐれ、
友達のかたへいひつかはし侍る
蓑虫の音を聞にこよくさのいほ (栞集・あつめ句)
この句に対する先学の解釈から、『枕草子』を踏まえて、蓑虫を鳴く虫とする説をしりぞけたい。
貞享四年の仲秋、仏頂和尚との再会を果たして芭蕉庵に戻った芭蕉を素堂が訪ねる。素堂はその際の芭蕉を蓑虫に擬して「蓑虫やおもひしほどの庇より」と詠んで、無事帰庵したことをよろこぶ。その後、芭蕉を伴って戻った素堂居にも蓑虫を見て「みのむしにふたゝびあひぬ何の日ぞ」と詠み、芭蕉との再会の一日をふりかえった。この蓑虫は芭蕉の旅姿の見立てであり、『枕草子』にいう鳴く虫の表象ではない。鳴く蓑虫がイメージされてゆくのは、芭蕉から「蓑虫の音を聞に来よ草の庵」という誘いがあって以後のことである。
呼びかけに応じた者は、素堂(「蓑虫説」)のほかに服部嵐雪(「蓑虫を聞に行辞」)や英一蝶(「画賛」)だという。素堂の「蓑虫説」には芭蕉の「蓑虫説ノ跋」が添えられる。ここで英一蝶の絵、つまり古木の梢に下がる蓑虫から鳴く虫を読み取るのはむずかしいが、「蓑虫説」とそれをうけた「蓑虫説ノ跋」と「蓑虫を聞に行辞」は『枕草子』を踏まえて、鳴く蓑虫を顕在化させる。だが、それは「蓑虫の音を聞に来よ草の庵」と誘った芭蕉の意図をそれるものではなかったか。
素堂や嵐雪の誤解と直接の関わりがあるかどうかはわからないが、この年の十一月に刊行された其角編『続虚栗』には「聴閑」という公案に等しい題がある。〈閑を聴く〉とは〈声なき声を聴く〉、つまり坐禅の目的である無生心(むしようしん)と無住心の二つの心の体得をこころみるものではないか。仏頂和尚に師事したことが事実なら、芭蕉が学んだことは、対象に心を預けて一体になり、心を空・無の状態になること以外にはありえない。
十月二十五日、芭蕉は『笈の小文』の旅へ出立。翌年の三月十一日には伊賀の服部土芳の新庵に一宿した。その際に芭蕉は土芳に「みのむしの」発句自画賛(達磨図自画賛)を贈り、土芳はその賛「みのむしのねを聞にこよくさの庵」を以て庵号とする。そこに描かれる面壁の図が無音の蓑虫との一体化をこころみる達磨であり、芭蕉であると読めることも「聴閑」の題同様に、先行する句解から『枕草子』の蓑虫像を除去してよい証左ではなかろうか。
こうしてみると、貞享三年の〈古池や〉の句、〈しばらく清浄の心をうるに〉似た体験をした『鹿島詣』、蓑虫の姿と重なり合う達磨や芭蕉の姿、鵜飼の鵜や、〈こゝろすミ行のミ覚ゆ〉という岩や蝉との一体感に通底するものは禅学における無住心、閑を味わうという愉しみのように思われる。