旧事追懐◆夏と秋とゆきかふ空や流れ星 東皐
2010年 08月 20日
平成8年に芭蕉自筆とされる『おくのほそ道』が現れて、TVや新聞その他を巻き込みながら、その真贋を中心に物議がかもされていたので、平成10年の学会は「集中研究・『奥の細道』をめぐって」という、この学会としては異例の〈シンポジウムまがいの〉(同誌「第五十回全国大会の記」)企画でおこなわれた。
その五ヶ月ほど前に、櫻井武次郎さんから芭蕉自筆本に関する発表をするように説得されていたボクは「貼紙訂正〈過客「にして行かふ」年も〉について」という題で発表した。新出本の最大の価値は「立ち帰る年も」から「ゆきかふ年も」に推敲されたことが判明した点にあり、こうした作品の根幹の思想に関わる変更は作者以外にできるものではない。新出本の真贋論爭が筆跡鑑定にばかり傾いて展開しているのは是非ないことではあるが、拙論のように、内容吟味という視点からの検証もおろそかにできないのではないかという脈絡の発表であった。
その主旨は、発表が決まった直後の俳文芸研究会で先生方に聞いていただいていて、病床の井本先生から〈おもしろそうじゃないか〉という励ましも届いていた。こうして、平成十年は忘れられない年になった。
芭蕉が『おくのほそ道』の冒頭に採用した「ゆきかふ」は「行き違う」の意で、もっとも著名な用例は、
夏と秋と行きかふ空のかよひぢはかたへすずしき風や吹くらむ(躬恒・古今・夏)
という和歌である。
昨夜それとなく近世の発句集を眺めていたら、この歌の文句取りで詠まれた句に遭遇した。
夏と秋と行交(ゆきかふ)空や流星(東皐・奥美人)
この作者は18世紀後半に活躍した岩手の高橋東皐という人で、蕪村に私淑し、その高弟高井几董と親しく、当時の江戸や京都の俳人との交流があった。そして、芭蕉会議でときどき話題にしている菅原宏通さんの奥方の先祖にあたる。
これから『おくのほそ道』の話をするときには、この東皐の句も教材として引用させてもらおうと思う。
雷鳴と蜩の日々が、いつしか虫の声に移っている。残暑とは深秋へのひとすじの道でもある。