能因島の石◆象潟スクーリング始末(1)
2010年 09月 16日
夕暮れの羽越線は美しい。日本海側に山が見えると、一瞬佐渡かと胸が躍るが、海の見える指定席はそんな高さにはない。その佐渡の彼方が少しずつ赤く染ってゆく。車窓の左右にひろがる稲穂が、このところの豪雨にところどころ倒れ臥している。旅人も背もたれを倒し、靴を脱いでくつろぐ。特急いなほが鈍行列車のように感じられるのは、新幹線に狎れきってしまったからか。のんびりとした時間が流れる。十日ほど前に一泊した村上あたりでは蝗が群れ飛んで、あたりをしばらく暗くして見せた。
村上を出ると、いくつものトンネルを出たり入ったり。そのあいまに瀬波海岸の宿が見える。十日前の泊まった温泉である。粟島はトンネルを出るたびに何度も見える。岩や木に注連が飾ってあるのを見る。ときどき海辺の墓地もある。すべてが夕日を背景にしている。空が悲しいほどにひろい。『おくのほそ道』の旅をしているのに、なぜ今日はひとりなのだろうとふと思う。こうした旅はいつも先生と一緒ではなかったかと。懐旧にひたる。
鶴岡あたりで乗ってくる人の言葉に懐かしく耳をかたむける。このあたりまで来ると、言葉のなまりが故郷の北海道に急に似てくるのだ。電車の左から右へと場所を移す鳥海山を目で追う。そして、〈『おくのほそ道』は文学作品なのだから、作品を読めばよいのであって、ことさらに旅などする必要はない〉という意見はやはり嘘だなあと思う。
十八時三十分に象潟に着いて、タクシーで蕉風荘に向かう。運転手が、天気予報では明日も明後日も雨だと、旅人を気の毒がる。旅人は〈旅にあいにく…、はない〉と独りごとを言う。そうだ、明日の講義はこの言葉からはじめよう、と思う。旅にあいにくの雨というものはない、あいにくの晴れがないのと同様に。蕉風荘は海に浮かぶような場所にあった。玄関灯に照らされて、まだ合歓の花が残っているのが見えた。
海辺の松を吹く風の音で目覚める。鴉が五時四十五分に啼く。雲は忙しく動き、海が荒れ始めた。運転手の心配が的中した。ものかは!〈雨も又奇なりとせば、雨後の晴色又頼もしき〉である。かいがいしい女将の言葉が懐かしくて、尋ねるとやはり北海道の人であった。