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芭蕉と信仰◆九月のかげろう金曜会

 今月は『おくのほそ道』の日光から雲巌寺あたりを読んだ。日光では仏五左衛門を滑稽化された人物と説明するような解説書は捨てましょうと言って笑った。東照神君への鑽仰を指摘して、わかった気になるようではだめだと話した。

  あらたふと青葉若葉の日の光
 この句に、自然のエネルギーとしての神仏を読み取れないようでは『おくのほそ道』は理解できない。作品をひとすじの道として読んでほしいと告げた。

  しばらくは滝に籠もるや夏の初め
 日本という国は、信仰とか修行といえば艱難辛苦に耐える姿を想像しがちだが、夏安居の本来は艱難辛苦を避けて、ひたすら心の平安を求める環境をつくり、そこで心静かになることだ。けっして健康を害する危険のある修行を選ぶことではない。それがすなわち禅(ヨーガ)である。ヨーガとは心静かになるということであり、無為自然とは作為を離れて自分の原点について考えることである。ゆめゆめ忘我をめざすことではない。この句にはそうした修行へのあこがれがあらわれている。

 これは光明寺の、
  夏山に足駄を拝む首途かな
という句についても同じである。

 雲巌寺の文章に芭蕉が紹介する仏頂和尚の、
  竪横の五尺にたらぬ草の庵結ぶもくやし雨なかりせば
という道歌についても同じである。雨でさえ、心の安寧を妨げるものとして避けるのだ。それが妙禅師の死関、法雲法師の石室をさえ思わせると言っているのだ。当然木啄は遠慮せざるを得ないだろう。
by bashomeeting | 2010-09-20 04:41 | Comments(0)

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