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能因島の石◆象潟スクーリング始末(3)

 こんな話もした。
 『おくのほそ道』は諸国一見の旅である。ここにいう諸国とは元禄時代の九つの国で、武蔵・下野・陸奥・出羽・越後・越中・加賀・越前・美濃をいう。
 この諸国を『おくのほそ道』の内容に重ねてみると、武蔵(深川・千住・草加)、下野(室の八島・日光山・那須野・黒羽・雲巌寺・殺生石・遊行柳)、陸奥(白河の関・須賀川・安積山・信夫の里・飯塚の里・笠島・武隈の松・宮城野・壺の碑・末の松山・塩竃の浦・塩竃明神・松島・瑞巌寺・石巻・平泉・尿前の関)、出羽(尾花沢・立石寺・最上川・出羽三山・鶴岡・酒田・象潟)、越後(越後路)、越中(市振・那古)、加賀(金沢・小松・那谷寺・山中温泉・全昌寺)、越前(汐越の松・天龍寺・永平寺・福井・敦賀・色の浜)、美濃(大垣)となる。なお、市振は厳密には越中ではなく越後路だが、『おくのほそ道』では越中として扱っているので、ここは作者の認識に従う。
 『おくのほそ道』の中で、九つの国がそれぞれ占める分量の比率は、武蔵(5%)・下野(14%)・陸奥(33%)・出羽(20%)・越後(1%)・越中(5%)・加賀(9%)・越前(11%)・美濃(2%)である。つまり、『おくのほそ道』は陸奥と出羽で53%を占めていて、陸奥の入り口までの下野を含めると実に全体の67%に及ぶ。これは冒頭の草庵出立の章に「春立てる霞の空に白河の関こえん」とか、「松嶋の月先づ心にかゝりて」とあり、日光山の章に「このたび、松島・象潟の眺めともにせん」とあるとおり、『おくのほそ道』とは陸奥・出羽を訪ねる旅であったことを意味する。すなわち、旅の第一夜である草加の章に「奥羽長途の行脚只かりそめに思いたちて」とあることと符合する。奥羽とは陸奥国と出羽国の略称であった。
 こうしてみると、『おくのほそ道』という作品の構造は明らかで、説くまでもないのだが、研究史には実にユニークな論が展開されている。その最たるものが連句構造論である。しかし、多くの読者は連句なる韻文の知識がないから、その可否について論じようもない。それで、連句に関する基礎知識を講じ、『おくのほそ道』を連句的に理解することが適切かどうかを、あなた方に自分で考えてもらうのだ。
 ほとんどの学生は、俳諧をきわめて規則にうるさく、知的で難解な連想ゲームととらえて敬遠する。しかし、連歌とはどのような場からうまれて俳諧の連歌の時代を迎え、その流行が俳諧という名称をうみ、「みやび」という古い美学を抜け出して「俗」という新しい世界を創造したかを知れば、きっと親しみを覚えるであろう。
 教養を競う公家ならずとも、この雅語を駆使できない俗人ゆえに描き得るあたらしい世界は、不幸にも明治時代の知識人のInferiority Complex によっておとしめられたが、実は今も根強く生き延びている。その魅力は、付句の作者が交代する緊張感と、それに伴う姿情(詩情)の美しい変化にある。しかし『おくのほそ道』の全編は芭蕉と曽良という登場人物が支配するものがたりで、付句作者に似た変化も交代もない。この点だけでも、連句構造論を批判するひとつの糸口になるのではなかろうか。
by bashomeeting | 2010-09-28 06:46 | Comments(0)

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