季刊『船団』86号◆アンソロジーというかたち
2010年 10月 02日
逸題
今宵は仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ
春さん蛸のぶつ切りをくれえ
それを塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿
ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先づ腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ
今宵は仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ
この詩の「よしの屋で独り酒をのむ」の「独り」をいたく気に入った話。このフレーズに至ったとき、「もう授業などやめて飲みに行きませんか、万障繰り合わせて」と言いたくなったという話。今年の仲秋の名月には〈われらよしの屋〉に万障繰り合わせて集まりたいという話。
こんなことを富澤赤黄男の限定五部の手書き句集『陽炎草紙』(昭19・7)の紹介に重ねていく趣向の一文である。
曼珠沙華けふも流るる山河かな (赤黄男・陽炎草紙)
中に、「俳句という小さな詩は、個人の句集よりもむしろアンソロジーというかたちの方がふさわしい気がする」とある。同感である。


