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養老孟司「エリートとは人の命を預かること」◆「雪冤」を観たあとで

 先に、「雪冤」というドラマの後味のよろしくないことを吐露したが、吹越満(死刑囚の担当弁護士)と橋詰功(死刑囚の父)の存在感は、やはり格別だった。そして、養老孟司〈親はみな「エリート」である〉(『アエラ』№43 10月4日号)という一文を思い出した。これは子どもの虐待を考える文章だが、もっと広い意味で反省させられる点が多い。以下、写経のつもりでその全文を紹介する。

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    親はみな「エリート」である   養老孟司

 いたるところで子供の虐待が起きている。近所の人が通報しても親が虐待を認めなかったり、児童相談所で預かっても親が取り返しにきたり。なすすべはあるはずなのに、機能していない。
 「社会が子どもを守る」などというが、それは美しい話で、子どもの生殺与奪の権は最終的には親が握っている、と私は考える。
 子どもを虐待する親というのは、「大人」になれていない。大人というのは、自分がエリートの立場になっているかどうかということである。エリートというと、いい大学を出て、高給取りの仕事についている人を想像しがちだが、それは違う。エリートとは、突き詰めれば、人の命を預かることなのである。
 子どもがいくら言うことを聞かなかろうと、無条件で子どもを受け入れ、育てるのが親である。子どもにとって、親は立派なエリートである。虐待する親というのは、自分がエリートであるとは気づいていない。親というのはそれほど重い立場にあるのだが、それを知らず、周囲も教えずに子どもをうっかり持ち、挙句の果てに虐待する。そして、子どもの生きる権利を奪う。
 人の命を預かったからには、他人に言えないことを黙って背負う忍耐が求められる。ときに汚れ役を買って出る覚悟も必要だろう。そういう意味で、親になるエリート教育が求められるのである。
by bashomeeting | 2010-10-04 11:09 | Comments(0)

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