人気ブログランキング | 話題のタグを見る

随想◆銀河に架ける恋

   銀河に架ける恋      谷 地 快 一

 千葉大学で呼吸器病学を講じ、附属病院長をつとめられた故渡邊昌平さんは俳号を半睡と言い、私が庵主を引き受けている無花果会という俳句会の仲間であった。平成七年の晩春、〈『俳句朝日』の「龍太特集」を買ったところ、「恋の句小特集」に「恋の句は芭蕉にしかず初句会 麦丘人」という句がある。芭蕉に恋の句が多いとは知らなかった。どういうことか〉と、電話で尋ねられた。私は芭蕉の俳諧は連句が本業で、今言うところの俳句ではない、つまり麦丘人の脳裏にある恋の句とは連句の付句を指していると思うと答えて、

    ほそき筋より恋つのりつゝ      曲水
  物おもふ身にもの喰へとせつかれて  芭蕉(「木のもとに」歌仙・元禄三)

ほか、いくつかの付合を紹介した。半睡さんは大いに驚いていたが、俳句を一人称の詩とみる時代にあっては無理からぬことであった。
 芭蕉が恋の句にすぐれているのは連句ばかりではなく、紀行においても同じである。たとえば、『おくのほそ道』の越後国についての記述はその全体が恋をテーマとする。

  酒田の余波、日を重ねて、北陸道の雲に望む。
  遙々のおもひ胸をいたましめて、加賀の府まで
  百三十里と聞く。鼠の関をこゆれば、越後の地
  に歩行を改めて、越中の国一ぶりの関に至る。
  此の間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこ
  りて事をしるさず。
    文月や六日も常の夜にハ似ず
    荒海や佐渡によこたふ天河

 手厚くもてなしてくれた人々に別れがたくて、山形県酒田の地に長く滞在していた旅人にいよいよ出発の日が来る。北陸道の空模様は不安定で悩ましいが、次の目的地である金沢まで百三十里の距離があると聞くと、ますます気が重くなる。鼠の関を越えて越後に入り、九日をかけてどうにか市振の関に着くが、暑気や雨天のために体調を崩して、旅日記に筆をとることはできなかったと結んで、右の二句をしたためた。
 前者は〈文月は七夕月である。そんな気持ちでながめると、今宵六日の夜空もふだんとは違うように感じられる〉といい、後者は〈七夕の海はあいにくの荒れ模様で、佐渡の空には天の川が心細げにその身を横たえている〉という意。文月は陰暦の七月の別称で、その七日は五節句のひとつである七夕、つまり天の川の両岸に別れ住む織姫(織女星)と、その夫である彦星(牽牛星)が天の川を渡って、年に一度の逢瀬を許される甘美な日である。この二句は、そう思ってながめる前夜の華やいだ空と、うって変わって逢瀬にはあいにくの空となった当日を詠んだ一対の恋である。
 しかし依然として、この句の天の川を佐渡と本土をつなぐ橋に見立てたり、流人の島である佐渡への慟哭を綴る芭蕉の句文「銀河ノ序」の呪縛によって、郷里の妻子を慕って天を仰ぐ流人たちに思いをはせた句とする解釈が跡を絶たない。それはやはり恋の句とは無縁の、悲壮なる俳聖芭蕉像が、いまだにわざわいしてのことであろうか。
 続く市振の章が、遊女と同宿した内容であることについては、安政五年(一八五八)すでに馬場錦江の『奥細道通解』が、連句の恋の場面を創作したものと判断している。『おくのほそ道』の越後路はつややかに演出がほどこされた世界なのである。
                    ―『東洋通信』(47巻7号 H22.10)より転載―
Commented by つゆ草 at 2010-10-06 08:33 x
「東洋通信」が手元に無いのでこの記事興味深く読ませていただきました。以前から芭蕉に纏わる女性像に関心を持っていて先生にお聞きした時連句には沢山恋の句がありますとのことでした。越後路にこんなつややかな芭蕉の心が見え隠れしてロマンを感じます。ところで冒頭を飾るすばらしい写真は先生が撮られたものですか?
Commented by 畠山 広 at 2010-10-06 22:22 x
つゆ草さん、こんばんは。この文章にも象潟スクーリングを懐かしく思い出しました。私も、あまりにも有名な芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天の河」が、恋の歌であるとの講義を受けたときの衝撃は忘れられません。「越後路はつややかに演出がほどこされた世界なのである」という先生の言葉は、そのまま『おくのほそ道』全体あてはまるのではないかと考えています。
Commented by 山房の海紅 at 2010-10-07 07:46 x
お読みいただきありがとうございます。なお、冒頭の写真は、ブログサイト側が、提供しているたくさんのスキンのひとつです。移り気なボクは季節と気分に合わせて、時々変更してしまします。
by bashomeeting | 2010-10-05 18:52 | Comments(3)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


by bashomeeting