石原慎太郎氏はこのたびの地震を「天罰」と発言して、撤回して、陳謝した(東京新聞「大波小波」)そうだ。発言の全容を知らないから迂闊なことは言えないが、少なくとも「天罰」という言葉が生きていることに驚き、わざと反感を買おうとするお騒がせな手法にもうんざりした。だが、こうした発言に底流するものを別個の次元で考えるのは意味のないことではない。つまり、その発言の矛先が被災地でなく、お膝元の東京に代表される大都市文明の脆弱さに向けられたものであったとすればどうかということだ。その際の東京の崩壊を、われわれは天災として諦めることが出来るだろうか。
『方丈記』の鴨長明は、天災も人災と考えていたような気がする。