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新方丈記9◆『写真で歩く奥の細道』(三省堂)の出版意図

 芭蕉は元禄二年(一六八九)、陰暦の三月末から九月の初めにかけて、およそ五ヶ月に及ぶ旅をした。それは江東深川の芭蕉庵を出立して、今の東北・北陸の諸国を遊歴し、岐阜県の大垣から舟に乗って、伊勢の遷宮を拝みに出かけるまでの、旅程六百里にも及ぶ紀行である。だが描かれたものは旅の事実ではなく、理想化された俳諧師の旅と旅人像であった。その創作の名称が「奥の細道」で、近年は『おくのほそ道』と表記することが多い。理由は素龍という人物が清書した本の題簽に、芭蕉が自筆で「おくのほそ道」と書いているからである。なお、題簽とは和漢の書物の表紙に、書名を記して貼り付けた短冊形の紙片(布片)のことである。
 本書は、『おくのほそ道』ゆかりの古歌とともに、今は亡き俳文学者久富哲雄のファインダーがとらえた写真を先行書にない規模で掲出し、それによって『おくのほそ道』と読者との対話に格段の便宜をはかろうとするものである。作品そのものの価値を純粋に問う人は奇異の感を抱くかもしれないが、草加の章に「耳にふれていまだめに見ぬさかひ」とあるように、芭蕉自身の旅の目的は古歌で覚えていても実際には行ったことのない土地を訪ねることで、各地における古典との対話の成果がすなわち『おくのほそ道』である。とすれば、本書に掲出する古歌と研究者の眼がとらえた写真が、芭蕉の風狂と向き合おうとする読者に一定の役割を果たすことであろう。
 久富哲雄は「奥の細道の番人」と評された芭蕉学者で、昭和から平成の時代いたる五十年あまり、『おくのほそ道』の実地踏査を重ね、作品の理解につながる写真を撮り続けた。人は、たとえば歌枕が和歌によって作られた場所であって、必ずしも和歌を詠んだ場所を意味しないように、近代の風景が芭蕉が歩いたみちのくのそれである保証は少しもないと言うかもしれない。だが古歌を知らない者の『おくのほそ道』理解がおぼつかないように、脳裏に風景を思い描けない人の読書も頼りないものであろう。本書の書名を『写真で歩く奥の細道』とするゆえんである。
           ―「解説 ―『おくのほそ道』はどう読めばよいのか―」より
by bashomeeting | 2011-04-07 17:44 | Comments(0)

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