新方丈記18◆自然と人間
2011年 05月 02日
四月十九日に、芭蕉を研究しているジェフ・ロビンスさん(福岡県在住)が研究室を訪れた。安居正浩さんの文章「私の好きな芭蕉の手紙」(SITE「芭蕉会議」の芭蕉会議研究室に掲載)に共鳴していて、昨年から鼎談を申し込まれていたのだが、諸般の事情で年を越してしまった。安居さんが取り上げる芭蕉の手紙は、蕉門の野沢凡兆の妻羽紅に宛てたものだった。
話はいろいろ弾んだが、ボクの真意が最後まで伝わらなかったものに「自然と人間は対立する世界ではない」というテーマがある。ロビンスさんは、人間を詠んだ句と、自然を詠んだ句をはっきりと区別する。そして、人間を詠んだ芭蕉句を高く評価する一方で、自然詠にはほとんど関心を示さないようであった。ボクの主張は、詩は「心」の形象化であるから、「自然」を詠んでも、「自然」によって詠んでも、「人間」を詠んだことに変わりないのだというものだが、納得してもらえなかった。
そのとき、ふと昨年末の『俳句年鑑』(角川書店)に、「二〇一一年の白地図―これからの俳句が進む道」という特別座談会があったことを思い出した。片山由美子さんの司会で、宇多喜代子・筑紫磐井・小澤實の三氏が集う話題の中に、「自然と写実」「自然と社会」「自然と生活」というふうに対立させる、かみあわぬ議論があった。一読した感想は、俳人でも「自然」ひとつに、こんなふうに対立するのだという驚きであった。
ロビンスさんが納得しなかった理由は、彼が人間中心の世界観を持つアメリカ人であるからと思ってみたが、それはまちがいかもしれない。
みちのくの卯月の銀河すでに濃く 工藤吾亦紅