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この人の一句◆沢好摩句集『最後の走者』

絵葉書に深山霧島咲き乱れ
信州の柿に埋もるる村の葬
青年の別れは簡単風光る
失敗続きの日々だ雪でも降らないか
眼の中まで菜の花明かりで言えぬ嘘
水仙買うワルツの調子で歩いて来て
手帳のはさむ 紅葉いち枚の明るさを
熱い真白な飯盛り 何か忘れている
小石の冷え掌中に消えて 不器男の忌
日傘の中の母好き 歩幅をあわせて歩く

〔解題〕沢好摩句集『最後の走者』(昭和44・7 日時計書房)。定価500円。後ろ表紙見返しに東京都小石川5丁目の古書屋「土屋書店」の値札があり、4,000円の値がついている。石田穣二序に、自選句稿と句帳から、まず石田が選句し、その結果を沢自身が整理したという選句の経過を説く。また「沢好摩ノート」として坪内稔典が解題の筆をとり、沢自身の「あとがき」がある。「著者略歴」に「昭和19年5月22日東京の生まれる/昭和38年5月 東洋大学俳句会に入る/昭和39年11月 全国学生俳句連盟結成/昭和41年「いたどり」に入会/昭和43年「いたどり」退会。「青玄」に拠る/昭和44年2月「日時計」創刊と同時に同人参加」とある。『日時計』は坪内稔典・伊丹啓子・攝津幸彦・大本義幸・立岡正幸などが集う同人誌。奥付に「日時計叢書第一集」「限定三百冊発行」とあり、発行は「日時計の会」として、住所「尼崎市上坂部字古江九一四・マーガレット・ハウス30号」とある。本書は江田浩司氏に一読せよと勧められて、氏の蔵書を借り受けたものである。石田穣二は源語学者で、谷地には五年間その講筵に連なった過去がある。本書を貸与された江田氏の好意に感謝する。なお、沢は富士見書房に移る前の★『俳句研究』編集で高柳重信らを支え、昭和五十三年(1978)創刊の季刊同人誌『未定』では発行人として、編集人夏石番矢とともにその中枢を担う。現在は『円錐』という俳誌を出しているようである。『未定』は現在「第2次『未定』」という認識にあるらしく、平成21年(2009)5月に「創刊30周年記念号」(通巻89号)を恵与されたが、その後の活動を把握していない。なお、本書出版の年である昭和44年(1969)は学生運動によって封鎖されていた東大の安田講堂が機動隊8,500人を導入して解除された年。川端康成のノーベル文学賞や三億円事件はその前年で、『最後の走者』上梓の翌年には「日本万博国博」、三島由紀夫さんの諌死などがあった。

〔★俳句研究〕昭和9年(1934)、東京で改造社が創刊。結社・流派を超えた月刊の俳句総合誌をめざすものだが、創刊号執筆陣から高浜虚子を排除するところに、その性格を露呈。昭和19年(1944)7月、軍部圧力により改造社解散。『俳句研究』は第11巻7号で終刊。同年11月目黒書店が雑誌名を継いであらたに歩み始めるが、終戦の年(十ヶ月後)の七・八月合併号で休刊。11月再刊するも、昭和22年(1947)七・八月合併号から目黒書店の系列である巣枝堂に移転、同23年12月ふたたび休刊。同24年(1949)7月、目黒書店が復刊。同26年以後12月以後みたび休刊。昭和27年(1952)4月、俳句研究社が復刊。昭和53年(1978)、俳句研究新社として新生。その後、角川書店が同誌を買収し、昭和61年(1986)1月号から、角川グループの富士見書房が発行するが、平成19年(2007)9月号をもって休止。その後、同じ角川グループの角川SSコミュニケーションズが発行を引き継ぎ、平成20年(2009)3月から季刊に変更して発行を再開。平成23年1月、角川マーケティングが吸収合併して現在に至る。
by bashomeeting | 2011-05-22 21:47 | Comments(0)

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