2011年 06月 06日
紙衾の記◆「芭蕉のカリスマ性」の周辺
古き枕、古き衾は、貴妃が形見より伝へて、恋といひ、哀傷とす。錦床の夜の褥の上には、鴛鴦をぬひものにして、二つの翼にのちの世をかこつ。かれはその膚に近く、そのにほひ残りとどまれらんをや、恋の逸物とせん、むべなりけらし。
いでや、この紙の衾は、恋にもあらず、無常にもあらず。蜑の苫屋の蚤をいとひ、駅の埴生のいぶせさを思ひて、出羽の国最上といふ所にて、ある人の作り得させたるなり。
越路の浦々、 山館・野亭の枕の上には、二千里の外の月をやどし、蓬・葎の敷寝の下には、霜に狭筵のきりぎりすを聞きて、昼はたたみて背中に負ひ、三百余里の険難をわたり、つひに頭を白くして、美濃の国大垣の府に至る。なほも心の侘びを継ぎて、貧者の情を破ることなかれと、これを慕ふ者にうちくれぬ 。
〔解題〕
「紙衾の記」は『おくのほそ道』の旅の最後で、大垣の門人如行の家に旅装を解いた際に、按摩をしてくれた竹戸(如行の直弟子)へのお礼として与えた紙衾(紙製の夜具)に添えて書き与えた文章。芭蕉の「わび」「貧」を考える参考になる。なお、蕉門撰集『猿蓑』の発句(冬)の部にある次の二句を合わせて読めば、芭蕉と門人の様子がさらによくわかるはず。
翁行脚のふるき衾をあたへらる。記あり。略之
首出してはつ雪見ばや此衾 美濃 竹戸
題竹戸之衾
畳みめは我が手のあとぞ紙衾 曽良