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随想◆俳諧即陀羅尼(転載)

    俳諧即陀羅尼                         谷 地 快 一

 久富哲雄著『写真で歩く奥の細道』(三省堂 平成二十三年三月刊)という本を編んだ。
 平成十九年に長逝した久富先生は奥の細道を五十年にわたり歩き続けた芭蕉学者で、没後に膨大な数の写真が残った。出版は〈これを奥の細道研究に生かす道はないか〉という相談を受けた企画で、写真の調査と整理には研究仲間である山田喜美子さんの協力を仰いだ。私はかねて、『おくのほそ道』を読者が一人で読むために必要不可欠なものは、ゆかりの古歌と訪問地の写真であると考えていて、それは久富哲雄先生の教えであると思ってきた。よって、それを先行書にない規模で掲出し、語釈や解説にも、先生の好著『おくのほそ道 全訳注』(講談社学術文庫)や『奥の細道ハンドブック』(三省堂)の成果をもっぱら反映させたのである。
 とはいえ、編者としてあらたに工夫したこともいくつかある。そのひとつは『おくのほそ道』全体に底流する精神として、仏道への敬虔なあこがれを指摘した点である。一例を示せば、立石寺(りゆうしやくじ)の章を結ぶ「閑(しづ)かさや岩にしみ入る蝉の声」という句にほどこした〈蝉の鳴き声が岩にしみ入るように、自分の心が閑寂な全山と一つにとけゆくという仏道体験を詠んだ句〉という解説がそれである。
 この句は、旅に随行した門人曽良(そら)の記録に、「山寺や石(いは)にしみつく蝉の声」(曽良書留)とあって、当初は山寺を詠嘆するものであった。それが、おそらく誤伝と思われる「淋しさの岩にしみ込むせみの声」(こがらし)や、「さびしさや岩にしみ込む蝉のこゑ」(初蝉・泊船集・俳諧問答)などのように、蝉の声がもたらす山寺の寂寞(じやくまく)を、「淋しさ」に収斂させた句と解釈されて今日に至る。

 山形領に立石寺(りふしやくじ)と云(い)ふ山寺あり。慈覚大師の開基(かいき)にして、殊(こと)に清閑(せいかん)の地也(なり)。一見すべきよし、人々のすゝむるに依(よ)りて、尾(を)花(ばね)沢(ざは)よりとつて返し、其(そ)の間(あひ)七里ばかり也。日いまだ暮れず。梺(ふもと)の坊に宿かり置きて、山上の堂にのぼる。岩に巌(いはほ)を重ねて山とし、松栢(しようはく)年(とし)旧(ふ)り土(ど)石(せき)老いて苔(こけ)滑(なめら)かに、岩上(がんしやう)の院々(ゐんゐん)扉を閉ぢて物の音きこえず。岸をめぐり岩を這(は)ひて仏閣を拝し、佳景寂寞(じやくまく)として心すみ行(ゆ)くのみおぼゆ。
  閑(しづ) か さ や 岩 に し み 入 る 蝉 の 声

 だが、右に明らかなように、『おくのほそ道』は初案の上五「山寺」を文章にひらいた構造になっていて、その「山寺」を「殊に清閑の地」「物の音きこえず」と説明したうえで、「佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ」と結ぶ。とすれば、「山寺や」に取って代わった「閑かさや」とは芭蕉の澄みゆく心の静けさである。つまり、須賀川の章で「世をいとふ僧」のたたずまいを見て「閒(しづ)かに覚えられ」たり、雲居(うんご)禅師が坐禅を組んだ雄嶋(おじま)が礒(松島の章)で「閑(しづ)かに住みなしている」「世をいとふ人」に「なつかしく立ち寄る」心に通じる、仏道修行に等しい体験なのである。
 阿弥陀仏の仏典『無量寿経』によれば、詩歌は極楽往生の妨げとなる罪悪のひとつである。しかし「香山寺白氏洛中集記(こうざんじはくしらくちゆうしゆうのき」に、〈自分は罪悪として咎(とが)められる詩文を作り、美辞麗句をもてあそび、人々を魅惑する罪を犯してきた。だが、この詩文の罪を善行に転じ、来世において仏法を賛嘆し、説法するときのなかだちにしたい〉(白氏文集)とある白楽天の論理は、和歌を密教の教えを端的に表現するものという方便として日本に受容され、西行に象徴される歌僧という行脚の系譜を作り出した。この方便を和歌即陀羅尼(わかそくだらに)という。芭蕉はその西行にあこがれた。しかし西行はたしかに出家し、芭蕉はついに出家するほどの出逢いに恵まれなかった。彼の背中をそこまで押すものはなかった。それがかえって西行の足跡をたどり、歌枕を探訪する『おくのほそ道』を生み出す原動力となったように思われる。和歌のひそみに倣えば、芭蕉には俳諧即陀羅尼という世界があることになる。
                          ― 『東洋通信』2011.7・8合併号所載 ―
by bashomeeting | 2011-07-08 16:14 | Comments(0)

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