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湖南俳蹟踏査始末1◆旅程篇

 今年の大学院のゼミで『諸国翁墳記』を読んでいる。夏期休暇に入る前に、Kさんの提案で、その発行元であった義仲寺周辺の踏査旅行をしようということになった。あれよあれよという間に踏査の栞『大津・膳所・石山を歩く』ができあがった。昔はこんな調査旅行をよくしたが、近年は卒業生と再会する旅はあっても、学生と旅に出ることはなくなっていたので、感慨深いものがないではない。ゼミ生七名、ボクを加えて総勢八名の旅である。

 八月九日(火)十一時にJR大津駅集合。駅前のそば處「やま喜」で昼食。まず膳所駅の近く、馬場1丁目の義仲寺へ(200円)。執事永井輝雄氏の出迎えをうけて、境内をくまなく歩き、かつ歓談。さらに龍が岡俳人墓地にお参りして、京阪膳所駅から京阪石山駅へ。大きな芭蕉像あり。誰かがKS先生に似ているという。歩いて、晴嵐に移されている兼平の墓参り。京阪石山駅に戻り京阪石山寺駅へ向かう。駅そばの谷商店でアイスを買って、縁台に坐って小憩。「棈松」というめずらしい表札をみる。谷商店の女主人に聞くと、アベマツと読むと教えてくれる。原義はクヌギ(ブナ科)の木のようだ。宿の松之荘への方角を間違えて、やや遅れて着。夕食は石山寺門前の洗心寮。食後に千日会で賑わう石山寺を巡拝(450円)。門前を流れる瀬田川の花火を堪能して、バスで宿へ戻る。入浴後に一句会。就寝。

 十日(水)は七時半に朝食。九時発で幻住庵に向かう。近津尾神社でたまたま幻住庵の管理人に逢う。幻住庵の当番に向かう前のお参りの由。われらは開館時刻まで境内を踏査して幻住庵に向かい、管理の女性と四方山話。帰途、芭蕉が汲んで飲み、炊いだ清水を見て、荷物を預けてある松乃荘に戻り、京阪石山寺駅から三井寺駅へ。琵琶湖疏水の脇を上って三井寺(園城寺)へ。観音堂・観月舞台を拝して、毘沙門堂・微妙寺を経て金堂に向かう。そこで、かつて山内のどこかに祭られていたが、いまはその堂宇を失って、居場所のない阿弥陀如来や地蔵菩薩を拝した。たまたま九条の会と三井寺が主催する「平和を願う子どもたちの作品展」が行われていて、脱原発の署名をする。金堂を出て、天智・天武・持統の産湯という閼伽井屋で泉の湧く音を聞き、霊鐘堂で俵藤太秀郷ゆかりで、山門派・寺門派抗争の逸話のひとつである弁慶の引きずり鐘(梵鐘)を見て、一切経蔵(八角輪蔵)に見とれる。盆が近いのでというNさんに共鳴して、鐘楼(三井の晩鐘)で鐘を突いて下山(300円)。門前(三井寺駐車場内)のレストラン風月で昼食。Kさんの話にひかれてはじめて「冷やしあめ」も飲んだ。Nさんによれば季語の由。

 京阪の三井寺駅に戻り、皇子山駅で接続するJR湖西線(大津京駅)に乗り換えて、堅田へ。当初は辛崎の松(唐崎神社)を訪う予定であったが、急遽堅田の本福寺と満月寺の浮御堂を調査することに変更したのである。

 帰路は全員京都駅までは一緒であった。夜行バス・新幹線などと帰途は異なるので、別れがたくもあり、駅ビルのレストランに誘って、十九時前に解散。新幹線組は三人であったが、みやげの柴漬けを買っているうちに、ボクだけはぐれてしまった。深夜二十三時五十分帰宅。
 この調査旅行はKさんの労を多とする。また広瀬惟然研究者である沢木美子さんの厚情に感謝する。

〔附記〕 大津市は編入合併を繰り返して、その範囲にはわかりにくいところがある。昔の湖南・湖西を歩いた者には、志賀・膳所・石山・雄琴・坂本・大石・田上・瀬田・堅田の町村がすべて大津市だと考えるのがわかりやすい。
by bashomeeting | 2011-08-13 14:18 | Comments(0)

芭蕉会議の谷地海紅(快一)のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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