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意味のわからない俳句

 あたりまえのことだが、句会における互選で「意味のわからない句」は選ばれない。しかし、考えてみると「わからない」原因には作者の表現力が未熟である場合と、読者の理解力が不十分である場合とがある。このふたつの難題を抜け出す道はないだろうか。
 ボクが詠んだ近年の句に「柳井綾子といふ大慈石蕗の花」という句がある。これは柳井綾子という人を知らない読者にとっては、作者の身勝手な作品ということになろう。しかし、ボクはそれを承知していながら、なんとかして「柳井綾子」という名前をあからさまにして、謝恩の心をカタチにしたかった。
 そこで、この人を「大慈」と「石蕗の花」という二つの言葉から逆照射してみた。その評価は読者に任せるしかないが、作者と読者との間にこうした努力で橋を架けることはできる。ボクは読者にこの女性の微細を承知してもらおうとは思わない。「大慈」と「石蕗の花」とから髣髴とするものを感じ取ってくれるなら、作者としてはそれで満足である。
 俳句が伝えられることはこの程度のことだし、それで十分であると思う。
 九月十日(土)は俳文学会の東京研究例会で江東区の芭蕉記念館に出かけて、『おくのほそ道』平泉の章の「草青みたり」理解について日中の比較を試みる発表と、三宅嘯山の画賛についての発表を聞いた。翌十一日は東銀座で無花果句会。「意味のわからない俳句」はこの二日の刺激から思いついたメモである。
by bashomeeting | 2011-09-13 08:03 | Comments(0)

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