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俳句で何かを言おうとしないこと◆風姿+風情=姿情

   白雨や戸板おさゆる山の中   助 童
 去来曰く「黒崎に聞きて、これに及ぶなし。句体風姿あり、語呂とどこほらず、情ねばりなく、事あたらし。当時流行のただ中なり。
 世上の句、多くは、とする故にかくこそあれと、句中にあたり合ひ、あるいは目前をいふとて「ずん切の竹にとまりし燕」「のうれんの下くぐり来る燕哉」といえるのみなり。
 この児、この下地ありて、能き師に学ばば、いかばかりの作者にかいたらん。第一、いまだ心中に理屈なき故なり。もし、わる功の出で来るに及んで、またいかばかりの無理いひにかなられん。おそるべし。

〔助童〕 筑前(北九州市)の蕉門推颯の子。
〔黒崎〕 今の北九州市八幡区黒崎。
〔風姿〕 姿情のうちの一方である「姿」のこと。一句全体の形。整ったカタチ。芭蕉は単に歌の風体(外見上の様子)に倣って「姿(form、appearance)」と言ったが、支考は姿情融合を説くために、「風姿」「風情」の二つに分けて説いた(『葛の松原』・『続五論』・『去来抄』修行)。
〔語呂〕 口調(tone)。
〔情ねばり〕 理屈の押しつけ、強要。文中「とする故にかくこそあれ」のたぐい。
〔わる巧〕 悪巧。わるごう。悪ふざけ。ここでは「情ねばり」や理屈。
〔無理いひ〕 不自然で、姿の悪い句をつくる人。

【主旨】 筑前(黒崎)の助童という子どもの句を例にとれば、よい句とは〈外見が整っているもの〉である。外見のよさは、なめらかな口調(tone)と、事実の発見から生まれる。一方、ダメな句は、主義主張に傾いたり、ありふれた景色を描写したりするものである。

【解題】『去来抄』同門評の一節。備忘に掲げる。
by bashomeeting | 2012-02-11 11:12 | Comments(0)

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