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万能な詩型はない◆乗るべき馬をば、まづよく見て、強き所、弱き所を知るべし(徒然草・186段)

 ボクの持論のひとつに〈俳句には描けることと、描けないことがある。それを正しく理解して、俳句という詩型の限界をわきまえている者を俳人という〉というものがある。芭蕉は「詩歌連俳はともに風雅なり。上三つのものには余す所もあり。その余す所まで俳はいたらずといふ所なし」(土芳『三冊子』)と言ったが、それはあくまで十七音という制約を前提にした発言であろう。とすれば、「馬ごとにこはきものなり。人の力、あらそふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、まづよく見て、強き所、弱き所を知るべし。次に轡・鞍の具に危き事やあると見て、心にかかる事あらば、その馬を馳すべからず。この用意を忘れざるを馬乗りとは申すなり」(『徒然草』186段)という意見に異ならない。

 坂本宮尾著『この世は舞台』に「ものに即して詠むことを心がけたいと思ってはいるが、何かの拍子で、ことばが勝手に句の形に並んで出てくることがある。そのなかでおもしろいと思うものを残しておく。おもしろいといっても、具体的に説明できるとは限らない。解釈できないところ、意味を離れたところに、言葉の不思議さがあるのだろう。作者だけ満足していて、読者は首をかしげているばかりという事態は避けたい。そこで他の人の意見を求めるのだが、誰かが理解を示してくれても、どこまで私と同じことを感じているかは疑問だ。結局、自分の句はそのときの自分の感性の範囲で取捨するほかない」(「混沌」)という一節がある。

 良識ある俳人なら、誰もが苦悩するこの問題は、基底において、おそらくボクの持論とつながっているように思う。
by bashomeeting | 2012-03-28 20:24 | Comments(0)

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