江ノ島吟行◆鳶はワシ・タカ・ミサゴ類として冬季
2012年 08月 23日
句会に先だって、〈吟行で心を満たすということは、一人になって思うということ。思えば言葉が出てくると信じたい〉というような話をした。6月の平林寺吟行の際に、「なによりまず心を満たしたい」と話したことを受けたつもり。句会を終えたあとは、弁天橋を歩いて片瀬までもどり、「清光園」で懇親ののち解散。名残り尽きない三、四人で岸辺に腰をかけ、星を数えて帰途についた。藤沢の「法華クラブ湘南・藤沢」泊。この町を知らないボクが道に迷うのを心配してか、Kさんが宿まで案内してくれた。その道々、孝童・紅花両先生の信義を彷彿とさせる話を聞くことができた。宿をとったわけは、翌日に遊行寺を参詣するため。お参りのあとは宝物館の展示「衆生済度の姿」を見て、圭室文雄『江戸時代の遊行聖』(吉川弘文館)を買った。
滴りに海見えて来し岩屋かな
滴りに海ひらきある岩屋かな
新涼や水琴窟のピアニッシモ
波音が波音洗ふ涼あらた
葛の葉の伸び来て島を淋しうす
なお、吟行の際にYUさんから、〈わたしの歳時記に「鳶(の笛)」がない〉と言われた。このたびの江ノ島は終始美しい鳶の声を聞く旅であったので、ボクは〈「鳶の笛」で冬季だから、秋になったばかりの今日は詠みにくいが、それでもあの声をなんとか句にしたい〉と連発していたためである。帰宅後とりあえず『図説俳句大歳時記』にあたると、冬(424頁)に「鷹」の類題として、鷲や鶚とともに鳶も上がっている。しかし例句は出ていないので、近世期に季の詞の意識は低かったようだ。それで、コンパクトな歳時記には「鳶」を見出しにとらないものもあるのだろう。そういえば「鳶の羽も刷ぬはつしぐれ」(去来『猿蓑』)の季は初時雨で、「鳶」は冬季扱いされていない。だが、俳人は理科の勉強をしていたわけじゃないから、ワシ・タカ・トビ・ミサゴの類が空に舞えば、みな鷹として詠まれた可能性だってあろう。芭蕉の「鷹一つ見付けてうれしいらご崎」(『笈の小文』)の鷹は、実は鷲や鳶であったかもしれない。ともあれボクが「鳶の笛」で冬季と決めつけていたのは、「しんしんと雪降る空に鳶の笛」(茅舎『川端茅舎句集』)という著名な句の影響か。この句の場合は雪空が趣向で、主題は鳶であろう。