医王寺は能「摂待」で知られた義経物語の寺で、『曽良旅日記』が書き残すように佐藤庄司(基治)一族の菩提寺でもある。「寺の門に不入」(『曽良旅日記』)とあるので、芭蕉と曽良は実は寺に入っていない。二人は墓所へ向かい、まず薬師堂を見て、その後ろに「庄司夫婦ノ石塔有」と書いている。薬師堂の「北ノワキニ兄弟ノ石塔有」と書き、「ソノワキニ兄弟ノハタザホヲサシタレバはた出シト云竹有。毎年弐本づゝ同じ様ニ生ズ」とも書く。むろんいま、この竹を確認することはできない。ボクは旅の同行者の多くが関心を持っている乙羽の椿に案内し、乙和の椿は「今も蕾のままに散るのか」という質問に答えられぬまま、継信・忠信兄弟、基治夫婦の石塔を拝む。「寺ニハ判官殿笈、辨慶書シ経ナド有由」(『曽良旅日記』)とあって、ゆかりの遺品を芭蕉は見ていないのだが、芭蕉が背負ったと言い伝える笈は宝物館に展示されていた。いつも同様、最後は本堂の如来と「無等差」としたためる額を拝してバスへ戻る。
その後、いやがるバス運転手氏を説得して、福島飯坂線沿いの菓匠吉兆松屋(花水坂駅そば)に立ち寄ってもらう。義経に命をあづけた佐藤兄弟の弟の名を付けた「忠信最中」を土産にしてもらおうと思ったからだ。直径十五センチの、ピザさながらの巨大最中であるが、残念ながら朝方に買い占められて一つも残っていなかった。予約の必要ありという。ここは片岡鶴太郎の画作を展示するようになって人気をあつめ、その結果、最中も買い占められる時代になったのだと思う。商売繁盛は結構なことだが、ボクらには不便、不満の結末ではある。
山鳩を追ひつつ小豆摘み急ぐ 山本嘉代子