卒業生との旅⑤◆「しのぶもぢ摺の石」は芭蕉の作り物語
2012年 08月 29日
あくれば、しのぶもぢ摺りの石を尋て、忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり。里の童部の来りて教ける、「昔は此山の上に侍しを、往来の人の麦草をあらして、此石を試侍をにくみて、此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたり」と云。さもあるべき事にや。
早苗とる手もとや昔しのぶ摺
ここは『古今集』の源融の歌から生まれた物語で知られる歌枕。観音の上に位置する曹洞宗の香澤山安洞院(山口字寺前5)が発行する「奥の細道 芭蕉ゆかりの地 信夫文知摺 みちのくの史蹟」というリーフレットに〈かつてこの地は、綾形石の自然の石紋と綾形、そしてしのぶ草の葉形などを摺りこんだ風雅な模様の「もちずり絹」の産地でした。その名残りをいまに伝える文知摺石は、都からの按察使(巡察官)源融と、山口長者の娘虎女の悲恋物語をを生み、小倉百人一首にも詠まれました」とある。
綾形石とは模様の摺り出しに用いた自然石で、各家々にあったはず。芭蕉の甥とも従弟ともいわれる桃隣の『陸奥鵆』(元禄9)に「長サ一丈五寸(約315cm)、幅七尺余(約210cm)」とあって、芭蕉が『おくのほそ道』の旅の途次にこの巨石を見たことを疑うことはできない。しかし、山の上にあった巨石で恋占いをする人が絶えず、麦畑が荒らされることを憎んだ里人が、谷に突き落としたという話は、これまた芭蕉の作り物語である。
物語は残る。そんな解説をして旅を終えた。
みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れむと思ふわれならなくに(源融・古今・恋四)