御蔭とは神仏のたすけのことであった。いま神仏の部分はうすめられ、恩恵とか影響という意味に留まっている。震災を神仏のたすけなどという人はいない。あくまでも地震の災害である。災害は被害である。だが、時が過ぎるにつれて、その影響は今以上に多方面におよぶであろう。とすれば、その影響のなかには恩恵と呼べるものも含まれるはずである。神仏のいない時代でも、だから御蔭と呼んで感謝すべき領域はあるにちがいない。悲しんで、泣いたあと、やはりボクらは歩くことになる、御蔭とよべる道をさがして。
なんか青臭いメッセージソングみたいで、身の毛立つけれど、のちのために残す。
百姓の待ちたる雨や貝割菜 永松西瓜