学会出張②◆芭蕉が「軽み」志向に目覚めたころ
2012年 11月 04日
眼前の那珂川を往き来する舟を見ながら酒を呑んだせいであろうか、杜甫の絶句の一節、「門ニハ泊ス東呉萬里ノ船」をぼんやり思い浮かべた。
絶句
両箇ノ黄鸝翠柳ニ鳴キ
一行ノ白鷺青天ニ上ル
窗ニハ含ム西嶺千秋ノ雪
門ニハ泊ス東呉萬里ノ船
芭蕉もこの詩を引いて、「乞食の翁」という名で流布する句文を残している。天和元年(1681)冬、三十八歳の成立というのが定説。「我其句を職て、其心ヲ見ず。その侘をはかりて、其楽をしらず」という箇所が好き。芭蕉のこの自己認識は、彼が「軽み」を志向してゆくはじまりではないか。ボクはそう思っている。
窗含西嶺千秋雪
門泊東海万里船
泊船堂主 華桃青
我其句を職て、其心ヲ見ず。その侘をはかりて、
其楽をしらず。唯、老杜にまされる物は、独多病
のみ。閑素茅舎の芭蕉にかくれて、自乞食の翁
とよぶ。
櫓声波を打てはらわた氷る夜や涙
貧山の釜霜に鳴声寒シ
買水
氷にがく偃鼠が咽をうるほせり
歳暮
暮々てもちを木玉の侘寐哉