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学会出張②◆芭蕉が「軽み」志向に目覚めたころ

 福岡の中州の宿は食事が付いていなかったので、那珂川沿いに点在する、屋台を覗くことにした。観光客に人気と聞いていたからだ。「一平」というのれんが気に入って、そこに入った。郷里の歌人西村一平を思い出したのである。屋台の「一平」は四十代かと思われる男が一人で切りまわしていて、彼で三代目であるという。店の名に縁を感じて入った旨を話し、一杯の酒で三十分ほど四方山話をした。帰りがけに、「この先に十軒ほどかたまっている屋台には行くなヨ」と忠告された。理由は、一見の客とわかれば法外な代金を請求するからだという。市役所に観光客からの苦情が絶えず、屋台の風上に置けぬ輩が増えているという。それで、コンビニでサンドイッチを二つ買って、ベッドの上のささやかで、行儀の悪い夕食になった。

 眼前の那珂川を往き来する舟を見ながら酒を呑んだせいであろうか、杜甫の絶句の一節、「門ニハ泊ス東呉萬里ノ船」をぼんやり思い浮かべた。

      絶句
  両箇ノ黄鸝翠柳ニ鳴キ
  一行ノ白鷺青天ニ上ル
  窗ニハ含ム西嶺千秋ノ雪
  門ニハ泊ス東呉萬里ノ船

 芭蕉もこの詩を引いて、「乞食の翁」という名で流布する句文を残している。天和元年(1681)冬、三十八歳の成立というのが定説。「我其句を職て、其心ヲ見ず。その侘をはかりて、其楽をしらず」という箇所が好き。芭蕉のこの自己認識は、彼が「軽み」を志向してゆくはじまりではないか。ボクはそう思っている。

  窗含西嶺千秋雪
  門泊東海万里船
                 泊船堂主 華桃青
 我其句を職て、其心ヲ見ず。その侘をはかりて、
 其楽をしらず。唯、老杜にまされる物は、独多病
 のみ。閑素茅舎の芭蕉にかくれて、自乞食の翁
 とよぶ。

   櫓声波を打てはらわた氷る夜や涙
   貧山の釜霜に鳴声寒シ
      買水
   氷にがく偃鼠が咽をうるほせり
      歳暮
   暮々てもちを木玉の侘寐哉
by bashomeeting | 2012-11-04 11:12 | Comments(0)

芭蕉会議の谷地海紅(本名は快一)のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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