講読の時代を懐かしむ
2012年 12月 24日
ところで、大学はいま似非セメスターの時世で、何でも半年の突貫作業で済ませられるという信仰が広まりつつある。カリキュラム次第でそれが可能であるという主張なのだろう。だが、経験的に言えば、学問は人のなせるワザであって、カリキュラムがもたらすものではない。ボクの生家は小さな町工場であったが、中学を出て年季奉公にやってきた少年が一人前の職人になるには、ボクの父と寝食を共にする五年の歳月が必要であった。マニュアルで人をしばっても、前途有為の後継は育たないのである。三年、四年かけてでも、古典を読みたいという時代が懐かしい。将来的に、講読という言葉と時間を取り戻そうとする時がやってくるはずだが、ボクらの時代にはむずかしいだろう。
恋仲の小さきクリスマスケーキ 西谷たつを
いよいよ年末という感じがします。
人間という不完全なものが、マニュアルという完全なものに
縛られたら面白くないと自分は考えます。
その点で、先生の講義は素晴らしいと思います。