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諧謔の真意(2)◆芭蕉の免疫力

 『おくのほそ道』の旅を終えた芭蕉の免疫力はかなり落ちていたと思う。下記の箇条書きのようなハードスケジュールと静養の跡をたどると、そのようにしか思えない。没年である元禄七年の、江戸→伊賀→大津→嵯峨→伊賀→奈良→大坂にて客死へとたどる道筋は、以下のような果敢で過激な挑戦の総決算であったか。だが、落ちてゆく免疫力は否応なく「重み」を自覚させ、かえって「軽み」の実現を速めることになったであろう。『ひさご』(元禄3)、『猿蓑』(元禄4)、『別座舗』(元禄7)、『炭俵』(元禄7)、『続猿蓑』(元禄7)などは、こうした免疫力低下との戦いの産物とは言えまいか。

1,元禄二年九月下旬から十一月末に春日若宮御祭を見に奈良で出かけるまでや、元禄三年正月三日から三月下旬までの郷里滞在。
2,「四国の山踏み、筑紫の船路」(荷兮宛元禄三・一・二書簡)に心ひかれながらも、同三年四月六日から七月二十三日までの幻住庵(国分山)における静養(「幻住庵記」)や、初めての木曽塚(無名庵)滞在(八月)、そして九月末から十一月初めまでの帰郷。
3,元禄三年歳末「木曽塚の坊」(去来宛元禄三・十二月推定書簡)、すなわち無名庵で越年して、元禄四年の歳旦吟を休んだこと。
4,同四年一月上旬にはまた郷里に戻り、三月末まで滞在の事実。無名庵竣工(正秀宛一月十九日付書簡)を経て、四月十八日から五月五日までの落柿舎滞在(『嵯峨日記』)。
5,同年九月末、膳所の無名庵を出て、住むべき芭蕉庵がないことを承知の帰東。
6,元禄五年の「風雅三等之文」や『芭蕉庵三日月日記』、元禄六年の「閉関之説」の執筆。
by bashomeeting | 2013-05-04 20:51 | Comments(0)

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