長閑考◆春の季とする根拠
2013年 12月 22日
だが、念のために『図説大歳時記 春』(角川書店、27頁)を見ると〈「のどか」「のどけし」ともに『万葉集』『古今集』には用いられていない〉とある。これは尾形仂先生の執筆である。あの大学者にして、このような見落としがあるのはなぜか。念のため山本健吉の『基本季語五〇〇選』(講談社学術文庫、14頁)をみる。怠惰なボクにはめすらしい。すると「のど」は「和」で、なだらかの「なだ」に通じ、「のどには死なじ」(『宣命』)とあって「無事」の意味もあるという語源論に重きが置かれ、季の定まった時期についてはふれていなかった。『古今集』の業平・友則歌を春季の根拠にしてはまずいだろうか。まだボクに勉強の余地があるのだろうか。
そこで、とりあえずボクの目に入った『古今集』以外の用例、のちのために。
風はいととく吹けども、日のどかに、曇りなき空の(源氏物語・常夏)
程へてみづからのどかなる夜おはしたり(源氏物語・若紫)
うしろやすくのどけきだに強くば、うはべの情は、おのづからもてつけつべきわざをや(源氏物語・帚木)
君はいとのどかにて(堤中納言物語)
浮き沈み淵瀬に騒ぐ鳰鳥はそこものどかにあらじと思ふ(敦慶親王・後撰集・恋六)
帰るさをいそがぬ程の道ならばのどかに峰の花は見てまし(忠通・千載集・春上)
などてかく雲隠れけむかくばかりのどかにすめる月もあるよに(命婦乳母・後拾遺集・哀傷)
人の来たりて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし(徒然草・一七〇)