道の日記といふもの◆奥の細道論争――旅立ちの千住――
2014年 08月 04日
しかし、芭蕉の紀行で旅の事実を書こうとしたものはない。だからこれは『おくのほそ道』や芭蕉の問題である以前に、人文地理学の問題というべきである。今年は芭蕉生誕370年で、没後320年。各地で記念の文化的な企画が進められているが、こうした埒のあかないテーマで社会の関心を集めるのは不毛なことと言うべきだろう。
→そもそも、道の日記といふものは、紀氏・長明・阿仏の尼の、文をふるひ情を尽してより、余はみな俤似かよひて、その糟粕を改むる事あたはず。まして浅智短才の筆に及べくもあらず。その日は雨降り、昼より晴れて、そこに松あり、かしこに何といふ川流れたりなどいふこと、たれたれも言ふべく覚え侍れども、黄奇蘇新のたぐひにあらずばいふことなかれ。されども、その所々の風景心に残り、山館・野亭のくるしき愁ひも、且つは話の種となり、風雲の便りと思ひなして、忘れぬ所々後や先やと書き集め侍るぞ、なほ酔へる者の妄語にひとしく、いねる人の譫言するたぐひに見なして、人また亡聴せよ。(『笈の小文』紀行論)