夢は実在である◆「藤娘」(blogマントうさぎ)を読んで
2014年 08月 29日
「藤娘」という文章は〈何もかもが夢のことのようだと思うことがある〉とはじまる。変化舞踊にふさわしい書き出しだ。その思いは琵琶湖畔の大津に越した妹を訪ね、ふたりで大津絵をさがしに出かけて「藤娘」の絵を買うことではずみがつく。「藤娘」の本名題は「哥へす哥へす余波大津絵」(かへすがへすなごりのおほつゑ)、作者には〈もの心ついた頃から「藤娘」と縁〉、つまり大津絵との縁があったのである。
そして〈夢のことのようだと思う〉回想が描かれる。すなわち、幼少期から小学校まで、新しく造船所が作られた〈瀬戸内の小さな町〉で過ごしたこと、それは〈広島、長崎に原子爆弾が落ちて戦争が終わった年をはさんでおよそ10年の間〉だったこと、小学校入学の前の年に〈その社宅の庭で広島に落ちた原子爆弾の閃光とキノコ雲を見た〉こと、しかしその町では〈どこか戦争とは無縁なそこだけが一つの村のような隔離された暮らし〉をしたこと、その大切なものの中に、大阪からやってきた日本舞踊の先生について、芝居小屋で「藤娘」を踊るまでになったことがあること、終戦後はその〈芝居小屋の花道に座って、美空ひばりの映画「悲しき口笛」〉を観て、〈いつかひばりになる〉と誓い、戦後の動乱期にもかかわらず、〈父を説きふせて日本舞踊〉を続け、そして〈一度だけ大きな劇場で「藤娘」を踊った〉が、実は自分の「藤娘」に絶望していて、〈ひばりになる夢は、錯綜し、迷走〉しながらも縁づいて結婚、そして〈夢いまだに浮遊したまま、私は今老人である〉と展開する。
作者は最近、夢のように美しい〈玉三郎、七之助の「二人藤娘」〉の舞台に自分の「藤娘」を重ねて、〈あれもこれも夢ではなかったかと思う〉と結ぶが、果たしてそうだろうか。〈遠い昔のこと、夢みて叶わないままの日々できごとの数々、めざめて、なんだかわからないが、いい夢をみていたような気がする〉と言い、〈そうでも思わなければ、あの日あのとき、たしかに踊った「藤娘」はどれもこれも無かったことになるように思えてくる〉と書く。だが、その夢や幻を実存(実在)と呼ばねば、ほかにそう呼べるものが、この世にあるであろうか。仕合わせなその境涯をねたましくさえ思う。