論文を読む会◆芭蕉の俳文「紙衾の記」から〈あだ〉〈軽み〉に及ぶ
2014年 09月 09日
後半にいたり、感想を述べあう時間になって、ボクもいくつかの思い込みを述べた。箇条書きすると、以下のようである。
1)はっきりしていない「俳文」の定義をするために、ボクは歴史における「うたの誕生」から説き起こすべきだと考えていること。
2)ボクがこの作品を愛する理由は、『去来抄』の「先師評」「同門評」や『旅寝論』、そして『三冊子』などもふれている「あだ」なる風がよく出ていると思うからである。
3)「あだ」なる風は「無邪気でユーモラスな詩趣」(『総合芭蕉事典』)と説かれるが、「小児のごとき無心な態度から生まれた」(同)という説明では不足で、「貧」や「わび」という世界と深い関わりを持っていること。すなわち、「軽み」という世界の奥行きを広げる大切な作風であること。それは、芭蕉が竹戸に〈なぜ紙衾を与え、「紙衾の記」を与えたか〉ということと無関係ではないと思うこと。
4)ボクらが従うべき心掛けも、こうした芭蕉の晩年にあること。