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見し秋を何に残さん1◆貫之

 やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の仲をもやはらげ、たけき武士(もののふ)の心をもなぐさむるは歌なり。(貫之・古今集・仮名序)

  なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくて来るが悲しさ
といひてぞ泣きける。父もこれを聞きて、いかがあらむ。かうやうのことも、歌も、好むとてあるにもあらざるべし。唐土もここも、思ふことにたへぬときのわざとか。今宵、鵜殿といふところに泊る。(貫之・土佐日記・二月九日)

→詩ハ志ノ之ク所、心ニ在ルヲ志トナシ、言ニ発ハルルヲ詩ト為ス。情中ニ動キテ言ニ形ハル。之ヲ言フニ足ラズ、故ニ之ヲ嗟歎ス、之ヲ嗟歎スルニ足ラズ、故ニ之ヲ詠歎ス(毛詩・序)
▶▶『毛詩(詩経)』「序(国風序)」。心に思うことが韻文の形式通して詩となり、韻文のかたちにできない人の心をとらえる。そしてその詩に満足できないとき、人は歌い始める。
by bashomeeting | 2014-09-22 14:27 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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