見し秋を何に残さん1◆貫之
2014年 09月 22日
なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくて来るが悲しさ
といひてぞ泣きける。父もこれを聞きて、いかがあらむ。かうやうのことも、歌も、好むとてあるにもあらざるべし。唐土もここも、思ふことにたへぬときのわざとか。今宵、鵜殿といふところに泊る。(貫之・土佐日記・二月九日)
→詩ハ志ノ之ク所、心ニ在ルヲ志トナシ、言ニ発ハルルヲ詩ト為ス。情中ニ動キテ言ニ形ハル。之ヲ言フニ足ラズ、故ニ之ヲ嗟歎ス、之ヲ嗟歎スルニ足ラズ、故ニ之ヲ詠歎ス(毛詩・序)
▶▶『毛詩(詩経)』「序(国風序)」。心に思うことが韻文の形式通して詩となり、韻文のかたちにできない人の心をとらえる。そしてその詩に満足できないとき、人は歌い始める。