終戦の日を三日過ぎて◆霊あらば親か妻子のもとに帰る靖国などにゐる筈はなし 市村 宏(『東遊』)
2016年 08月 18日
沖縄の三日目は県立図書館が所蔵する山之口貘の文庫を見に出たのですが、その前に少し足を伸ばして糸満市に向かい「ひめゆりの塔」「平和祈念資料館」を廻りました。資料館の第6展示室で、戦後70年特別展「ひめゆり学徒隊の引率教師たち」がおこなわれていて震撼させられました。帰宅後に、すでに目録が出来ていることを知りましたので、詳細は別の機会に譲りたいと思いますが、ここでは師範学校や高等女学校の女学生の「疎開希望に対する教師たちの反応」についてのみ書き留めます。以下の二例を紹介するのは、最近も身の回りで似たような恫喝を聞いた気がするからです。この類の悪意はなかなか人間の身体から抜けないのだナと思うからです。とすれば、この七十年は何であったかとも思ったからです。
ちなみに、今年の八月十五日は仕事で、終戦日らしい気分にひたることもなく過ごして、夜はめずらしい人に誘われて銷夏に出かけました。
▶▶昭和十九年十月十日、大空襲。学生疎開希望続出。学校当局の対応はまちまち。その中の代表的な二例は「自分たちの島を自分たちで守らないで誰が守るか」「官費(奨学金)を全額返済せよ。教員免許を与えない」というものであった。
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