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姿情を求めて19◆季題は無常を学ぶ教材

 いろいろあって文学を仕事にしてしまいました。いろいろあって古典文学を専攻してしまいました。企業を退職して、大学の夜間部に入って、ありがたかった講義は天文学と哲学でした。二つとも、人間が死んでゆくのは致し方がないのだと教えてくれました。
 守備範囲の古典では、西行法師や芭蕉庵桃青に関心を持ちました。二人の分野は和歌と俳諧と異なりますが、俳諧もつまるところ和歌の一分野です。芭蕉が生まれる前に和歌の歴史は九〇〇年以上あり、俳諧は芭蕉が生まれて以後に限っても四〇〇年に届こうという歴史を刻んでいます。だから、和歌とは何か、俳諧とは何かという根源的な問いの答えは色々あるでしょうが、日本人が一貫して向き合ってきたものは「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声」(『古今集』仮名序)であります。
 すなわち、古代ギリシャのヘラクレイトスが説いた万物流転、あるいは有為転変・生々流転・飛花落葉といっても同じでしょう。西行や芭蕉の生涯はそこに無常を感じとることで、限りある時間をよりよく生きることでした。俳諧の季題はその無常を確かめる何よりの教材なのです。無常を確かめることが日々をよく生きる最善の道だと思うのです。わたしは俳句をこんなふうに大切に思っています。

▶▶これは『たしなみ』(たしなみ俳句会3周年記念句集、平30年3月31日杉本勝人跋)に求められた「たしなみ句集Ⅲに寄せて」の全文です。西行の「心の誠」、芭蕉の「軽み」、虚子の「花鳥諷詠」に貫道するもの(哲学)の一環とお考えいただければ幸いです。断捨離の日々が続いていますので、散逸を恐れて、しばらくここに残します。


by bashomeeting | 2019-04-04 15:51 | Comments(0)

芭蕉会議の谷地海紅(快一)のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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