なぜ俳句を詠むのかⅠ◆人としての光
2020年 06月 02日
『初鴉』には虚子と素十の二つの序文がある。なぜか。素十は自序だけのつもりであったが、菁柿堂主人(豊島区西巣鴨)が独断で虚子に依頼したから。つまり、素十は出版されるまで、虚子先生の序文があることを知らなかった。(松井利彦編『俳句辞典 近代』昭52、桜楓社)
そもそも素十は個人句集が嫌いで、出版は菁柿堂の熱心な勧めに節を折った結果である。よって、自分の句集なのに編集の一切は出版社任せ。その結果、四季分類の誤りや、誤字や句の重複まである。そんな姿勢だから、仮に虚子への序文依頼を事前に知っていたら、出版を拒んだかもしれない。このように、素十は世間の俳人の嗜好や常識から外れていた。
虚子によれば、素十はよほど以前に句集が出ていてよい人物だった。しかし、良い句を作りたい一心で、文学のそれ以外の側面に関心はないから、句集がなかった。
虚子によれば、まるで磁石が鉄を吸うように、自然が素十の胸に飛び込んでくるという。素十はそれを明快に切りとるから、ことばを飾る必要はなく、それでいて味わい深い。句に光があるとはこれで、人としての光であるという。素十に似た俳人に、『猿蓑』を編んだ凡兆がいるが、人としての光という点で、素十に及ばない。
虚子によれば、この光というものを説明することはむずかしく、素十本人もわからないかも知れないが、その人と、その技巧から来ているという。つまり、俳句は人間の出来不出来によるが、それには技巧が大いに関係しているというのだ。
これは俳句が修養の世界であるというのに等しい。修養は人格や技能をみがき、きたえることである。その具体的な回答は、虚子の序文を知らないはずの素十の序文に、まるで符節を合わせたかのように見える。師弟とはこのようなものか。以下がその全文である。要するに、自己表現とはすぐれたものを真似て、そこに自分を隠すという修養の積み重ねであった。古来、学ぶは真似るだという。模倣ということについて、考え直す機会にしたい。
私はたゞ虚子先生の教ふるところのみに従つて句を作つてきた。工夫を凝らすといつても、それは如何にして写生に忠実になり得るかといふことだけの工夫であつた。
従つて私の句はすべて大なり小なり虚子先生の句の模倣であると思つてゐる。
甘草の芽のとびとびの一ならび
といふやうな句も
一つ根に離れ浮く葉や春の水
といふ虚子先生の句がなかつたなれば、決して生れて来なかったらうと思つてゐる。