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なぜ俳句を詠むのかⅢ◆虚子「漱石の人格」

 漱石が松山に居る時分に、私に話した事がありました。自分の目的は、完全な人間になるのにある、といふ事を申しました。完全な人間といふのは、どういふ事かと反問しましたら、漱石は、道徳的に完全な人間になる事をいふのである、と申しました。どういふ意味だかといふ事が私にはまだ詳しく合點がいかなかつたのでありますが、とにかく漱石といふ人は紳士でありまして、(中略)曲つた事、曖昧な事、うそが嫌いで、心の底から透明なやうな感じのする人でありました。(後略)

▶▶虚子『俳句の五十年』所収。『定本高濱虚子全集』13(毎日新聞社版)による。ここにいう「漱石が松山に居る時分」とは明治28年(1895)4月9日~翌29年4月10日(退職日)までの1年。虚子が松山に帰郷したのは、漱石赴任間もない4月であるから、この話の時期も同月のことであろう。なお、日清戦争従軍記者として大陸に赴いていた子規が、帰途の船中で喀血したのは5月17日。日本上陸後は神戸病院(虚子が看病)、須磨保養院を経て、8月末に松山に帰郷。教員として松山にあった漱石の下宿(愚陀佛庵)に転がり込んで、以後漱石と52日間同居。子規が指導する地元の俳句会(松風会)には漱石も参加。子規・漱石29歳(数え年)、虚子22歳のことである。



by bashomeeting | 2020-06-12 14:08 | Comments(0)

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