俳句は17拍しかない。つまり短すぎる。だから、内容に手を入れると別の句になってしまう。そこで、ボクが教わってきたのは、手を入れるくらいなら捨てて振り出しに戻れということ。この「出直せ」という意味は新たに写実(事物の実際を写すこと)を試みよ、ということ。頭で作るなということ。
宋代に編まれた漢詩撰集『三体詩』(1250成立)は、感情(心)を「虚」、カタチあるものを「実」と定義し、「実」の扱いが詩の品位を左右すると説く。俳句の世界でいえば、季題(季語)のほとんどが「実」であり、表現したいと願う感情(心)は「虚」である。「感情表現をしたければ、心から離れよ」というのは矛盾のようだが、その感情(心)をしっかり表現するには、季題(季語)をきちんと把握せよといっている。当然のことながら、添えるだけではダメであるということである。古典や近現代を問わず、独り善がりに終わらないための真実であろう。
必要があって、他人の句に手を入れることはある。しかし、ボクにとって、それは国語教師として、正しい日本語表現にするためのアドバイスであり、他人の句を名句に仕立て上げるためではない。それほど傲慢ではないのである。
▶▶俳句はなんと不自由で、つまらない世界なのだろう。まじめに俳句を始めた人たちの中に、こういって句会から離れていく人は少なくない。そういう人々のために、こんなことを書き残しておくことにした。佳い句、悪い句はあるけれど、それは才能によるわけじゃない。