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来簡◆普通の生活って何だろう

 今年も終戦記念日が過ぎて、もう9月なかばである。コロナ渦にあって、ものごころがついたばかりの子供たちは外に出るときは必ずマスク、家の中では静かに遊ぶ、それが普通の生活と思っているのだろうなあと考えたりする。
 また私の幼いころの話。戦争で疎開した先は北海道の祖父母の家で、オホーツク海寄りの片田舎だった。近くに広場があって、傍の急坂の下を頓別川が流れていた。「頓」はアイヌ語で「いくつにも枝分かれして流れて行くこと」を意味すると、祖父から聞いた気がするが、今はおぼろげな記憶である。
 遠い北海道も空襲や空襲警報と無縁ではなかった。家中のガラスは墨で黒塗りされて、朝に目が覚めてもお天気なのか、雨降りなのかわからない。いぶかしく思っていると空襲警報が鳴りだし、防空頭巾をかぶり、救急袋をぶらさげて防空壕に駆け込む。「空襲警報解除」とふれまわる消防団の声にノソノソと防空壕を出て家に帰る。
 そのうち、家の横の広場に大人たちが集まり、急坂の下の川から広場まで、二列に並んで「防空演習」。水の入ったバケツや砂バケツリレー、それが終わると「竹槍訓練」。「ワタシモ、ヤリタイナ」なんて思いながら、毎日飽きずに見ていた。これが、何の疑問も持たずに過ごした、小さいころの普通の生活だった。他に穏やかな日々があるなど想像もしなかった。
 戦後になって食料難の時代。「澱粉団子入りの麦ご飯のお粥」のこと。じゃがいもを潰して澱粉を入れて、それをこねて白玉団子ふうにしたもの。塩味だけの素朴なものだったが、大好物だった。
 最近、母親の後始末に格闘中。父母の古い戸籍を江戸時代まで遡ったり、生まれてから亡くなるまでのあれこれ。母が独身で美しかったりして癒やされるが、戦争前後のゴタゴタなども多くて、結構面倒な作業である。自分の子供たちには、こんなことさせずに済むようにしたいと思いつつ、がんばっている。コロナの終わるのを待っていたが、先が見えないので動き出すことにしたのだ。
 以上、今の子供には想像もつかない世界だろうと思って、近況報告をかねて書いてみました。 (T・M)

▶▶感染症対策が後手後手で、〈緊急事態宣言という言葉はもう何度も聞いたから、新しく何をするのか、したのかを聞かせてくれ〉と思うこのごろ。戦時中でもないのに「野戦病院」という言葉が行き交ったりして無神経だとも思う。そんなときに、疎開経験のあるT.Mさんから便りがあった。自分の生い立ちを踏まえて、「普通とは何か」を考えさせられる内容だった。よって、御本人の了解を得て紹介。

Commented by 荻原貴美 at 2021-09-28 01:35 x
 普通ってなんだろう、と考えています。普通の暮らし、普通の会話、普通の人、…考え始めると良く分からなくなりそうです。若い時、普通じゃ嫌だ、と考える時期がありました。でも今の様に閉じ込められるような生活を強いられていると、小さな旅でもよいから動きたい、ふつうの暮らしがしたいと思っている自分がいます。普通とは、基本的な自由と繋がっているものなのかもしれないとも思います。

 疎開経験を書かれた先生のご友人の一文を拝読して、空襲警報とか、疎開、すいとんと言った、戦前の言葉を、母の話を通して耳にしていたことを鮮明に思い出しています。焼夷弾が火の粉と共に、空から降ってくる中、姉を負ぶって逃げた話は、ショウイダンという言葉を私の記憶に焼き付けました。召集された父の里へ、幼い姉と母は、疎開したのでした。カボチャをたくさん食べて、姉は、掌が黄色くなったとよくきかされました。粉を団子状にこねて、野菜を入れ汁物にしたすいとんは、戦後しばらくたっても母が懐かしがって、時々作ったものでした。戦時下のいろんなこと、母からも、近衛隊にいて戦地には行かなかったけれど、父からも、もっと聞いておけばよかったと思うばかりです。文を読ませていただいて、親たちの思い出と重なり、私事を書かせて頂きました。
by bashomeeting | 2021-09-18 12:30 | Comments(1)

芭蕉会議の谷地海紅(本名は快一)のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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