芭蕉の『おくのほそ道』は風雅、つまり俳諧の美的境地を追求する紀行とされているが、その裏に内偵に似た実務が隠されていると先生は考えていた。ボクらが「それは無理だと思います」と首をかしげても、「私は本気なのだがなあ」と不満そうだった。周囲に、斎藤栄『奥の細道殺人事件』のモデルは先生である、という噂が流れたことには理由があったのである。
実際の旅、つまり『曽良旅日記』の中で、芭蕉と曽良は迷うことなく松島から石巻へと向かっているのに、『おくのほそ道』では、途中で「道ふみたがえて」石巻に出て、そこで一泊して北上し、さらに登米(とよま)に一宿して平泉にたどり着いたと書いている。先生によれば〈道を間違えて、石巻という港に出た〉というのは作りごとで、日本海側の酒田と並んで、東北二大貿易港であった石巻を調査する目的を隠すために、「道ふみたがえて」の一節が加えられたというのである。私はそのあたりの謎を探る旅に同道したのであった。
人道といふ言葉このごろうそ寒し 海 紅
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