清見寺の芭蕉句碑検証
2006年 08月 28日
海紅:卒業生に誘われてね。由比の「東海道広重美術館」がすばらしかった。ああいう本物を見て戻ると、誰がこんな東京にしちまったんだ、江戸の景観を返せって、告発でもしたくなる。
快一:やめなヨ。目をつむればすむことだ。
海紅:興津の清見寺にも立ち寄った。名勝という庭園の石橋が芭蕉句碑だというのでね。
快一:どんな句なの。
海紅:森川昭著『東海道五十三次ハンドブック』に「東西あはれさひとつ秋の風」とあり、『東海道名所図会』では「清見寺にて/西ひがしあはれさ同じ秋の風 はせを」だ。「東西」「西東」、「ひとつ」「同じ」の違いがある。寺にある句碑の写真を見ると、名所図会の形が正しいようにも見える。
快一:碑文は読まなかったの。
海紅:今は石橋の裏面になっていて、読もうにも読めないんだ。さっきあげた森川先生の本によれば〈このさびしい句のために宿場がさびれたとて、裏返して橋にした〉という言い伝えがあるらしい。
快一:すごいね、芭蕉の句には町を寂れさせる力があったというわけだ。
海紅:そうかもしれないが、実は市販の芭蕉句集類を見ても、意味がよくわからない。
快一:無理ないよ。この句は去来の『伊勢紀行』(貞享3)に与えた、三百字あまりの前書と一体の句文であって、十七音で成立している発句じゃない。芭蕉全集類に前書なしで出すこと自体が不見識なんだ。その結果、解釈を誤る。
海紅:どんな前書なの。
快一:〈言葉、心ともに拙い人の多い中で、去来という人は其角(芭蕉の高弟)と交流を深めて風雅の道をきわめた。そして、このたび妹を連れて秋風の京都白川口を発って、伊勢参宮を果たすまでの道の記を『伊勢紀行』としてまとめ、深川の芭蕉庵に送ってきた。私は三度読んで、その風雅の心のゆたかなことを確信した〉といった内容だよ。句意はこの前書を踏まえるので、〈私とあなたは江戸(東)と上方(西)とに分かれて暮らしているが、秋風にあわれを感じるという風雅の心で一つに繋っているのです〉というところだろうね。去来を門弟として認知する内容と見てまちがいない。
海紅:じゃあ『東海道名所図会』にある、清見寺で詠まれたという前書は誤りか。
快一:そうね。『伊勢紀行』に従って、句と文章とでひとつの作品と認定して読まねばいけない。つまり句の成案は「東にしあはれさひとつ秋の風」。もちろん、この句によって宿場が寂れた、というのも言い掛かりの類だね。残念ながら、芭蕉のこの句にそんな霊力はない。誤伝と知って困った挙句、附会された話かもしれない。伝承とはおもしろいね。
海紅:その句文の全体は、どこで読めるのだろうか。
快一:『去来先生全集』(落柿舎保存会、昭和57)がいい。