手帳の国、職人の国
2006年 09月 01日
ひとつの仕事に取り掛かると、それが仕上がるまでは仕事場を出られない。今日が何日であるかということまでは気がまわらない。それは出勤の拘束が少ない夏季に多く、時に失敗もする。会議は言うに及ばず、ある人の結婚披露宴をすっぽかしたこともある。その披露宴はボクの記憶より一日早く行われたのだ。以来、その人はボクに口を利いてくれない。記憶より手帳を信じなければいけない。わかっている。だが、仕事のさなかはその手帳までが時々行方不明になるのだ。数日前も、二つの約束、ある記念館訪問と雑誌の出張校正を忘れた。いつになく夏休みの宿題に必死な息子が不審で、尋ねると、明日と思いこんでいた約束の日は今日で、すでに午後になっていた。後の祭りであった。
自分のために仕事をする。それが結果的に人のためになってゆく。かつて、この国はそんな職人仕事を矜りにする国であった。今は人のために仕事をせよ、それは必ず自分のためになるからとすすめられる時代。そこで粗忽をしないために、職人の国と手帳の国を行ったり来たり、しかしそれではまとまったよい仕事ができないのである。オーナーは要らない。手帳の国で、職人の国にいるボクを見張るアシスタントがほしいと、叶わぬ夢を見たりした。